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神々の住む土地、ギリシャ(5) アテネ2 (Athens, 2014.8)

※この旅日記は2014年夏のものです

旅行時期:2014.8
同行者:友人
テーマ:美しい景色を堪能する、猫と戯れる
Day1(Fri.) 前日夜NRT発→サントリーニ島フィラ着
Day2(Sat.) サントリーニ島(イア)
Day3(Sun.) サントリーニ島(フィラ)
Day4(Mon.) サントリーニ島→アテネ
■Day5(Tue.) アテネ
Day6(Wed.) メテオラ
Day7(Thu.) アテネ→NRT着

中心部へ向けて散歩

6時半起床、7時に朝食。エルグレコホテルの野菜や果物たっぷりの素晴らしい朝食に慣れてしまったせいか、すごく種類が少なく感じる。炭水化物メイン。ただ、ヨーグルトはとても美味しい。桃の缶詰や蜂蜜とともにいただいた。

7時半にホテルを出てアクロポリスの丘を目指す。パルテノン神殿が呼んでいる。道中、多くの猫や犬と遭遇。動物は人間よりも早起きだ。

アクロポリスの丘


アクロポリスの丘の開園時間は8時。15分前にチケットセンターでチケットを購入。三番乗りで入園できた!

アクロポリスとは、古代ギリシャ語で「高い丘の上の都市」を意味しているらしく、同名の場所はギリシャ各地にあるそうだ。もともとはとの土地の王族の宮殿が置かれていたそうだが、ポリス(都市国家)の成立に伴い守護神を祀る聖域となっていったようだ。

・紀元前8世紀、アテナ信仰が盛んになったのを機に聖域とされるようになり、山頂に守護神を祀る多くの神殿が築かれた。

・紀元前6世紀には今のパルテノン神殿の前身(古パルテノン)が建てられたものの、神殿が建つ聖域としてだけでなく、ポリス防衛の要塞としての姿もあったアクロポリスはペルシア戦争で破壊された。

・経済的・文化的に最高潮に達した紀元前5~4世紀、現在姿を残すパルテノン神殿をはじめとする数々の神殿が建造されていった。

プロピュライア門

アクロポリスの丘に入園すると、まず見えてくるのはプロピュライア門。ここは現代のアテネと聖域としてのアクロポリスを結ぶ玄関口のようなところだそうだ。

プロピュライア門

アクロポリスの丘は広々としており、岩石が転がる道を歩いて神殿をまわる。

見えてきた

途中、兵隊さんが国旗を掲揚する儀式が見られた。行進がとっても遅かった。
友人はアクロの丘を歌っていた。わかる。

パルテノン神殿

パルテノン神殿が見えてきた。これは凄い迫力だ。

これまでみた遺跡の中で一番大きなエネルギー?を感じた。

建設されたのは紀元前450年…。20世紀に入ってから大規模の修復再建作業が行われていたが、経済的理由でなかなか進んでいないらしい。

そもそもなんで修復してるんだっけ?と思い調べたら、パルテノン神殿の歴史が意外と面白くて夢中になってしまった。私の解釈を含んでいるけど、ざっくり書くと以下↓

・紀元前450年に女神アテナを祀るため建築された時点では色鮮やかで、赤、青、緑などが使われていた(その他の神殿も同様)。

・紀元前146年、ローマ帝国に敗れて支配下に入った。ローマ帝国がキリスト教を国教化した後、6世紀にはアクロポリスの丘の神殿の大河がキリスト教の教会として使用されるようになった。パルテノン神殿は聖母マリアに捧げられた。

・1456年、オスマン帝国の支配下に。アクロポリスの丘の神殿は、モスクや弾薬庫として利用された。パルテノン神殿はモスクに改築された(!)。

・オスマン帝国支配下の1687年、帝国vsヨーロッパキリスト教国の神聖同盟の戦いの中でヴェネチア軍がアクロポリスの丘を砲撃し、当時オスマン帝国軍の爆薬庫(!)だったパルテノン神殿の大半が破壊された。その後、略奪や破壊にあい、貴重な芸術品の多くが盗まれた。

・19世紀に入ると建築物としてのパルテノン神殿の壮大を守るためという名目で、第七代エルギン伯爵トマス・ブルースがオスマン皇帝の許可のもとでパルテノン神殿から彫刻の数々を剥ぎ取る作業を実施(なぜ!!なんでイギリス人が出てくるんだ!!)。それらを持ち帰り、後日大英博物館に売却された(なぜ!!!)。

・1822年のギリシア独立戦争後、アクロポリスは荒廃した状態でギリシャに変換された。ギリシャ人は文化遺産の調査を開始し、19世紀後半には丘全体の発掘作業を行い、20世紀に入ると修復作業を開始した。

・1975年には建築者や考古学者、技士からなるアクロポリス文化財保護委員会を設置し、歴史の記録や保全に取り組み、可能な限りオリジナルの状態に近づけて修復することに。

・パルテノンシンでの修復は終わっていないが、エレクティオンやニケ神殿の修復作業は完了している。

・・思ったよりもギリシャ頑張ってた。

アテネといえば、パルテノン神殿といえば、聖闘士星矢ですよね、ということで友人と星矢のポーズの真似で写真を撮影していたら、通りすがりの女性に、空手みたいなポーズと言われる。なんて答えたか忘れたけど、「・・そうだね!オールモスト空手だね!」みたいに適当に答えた気がする。

美しいネコが数匹。眼下に広がるアテネの街とニャンの写真を撮影できた。脳内では塚本さんや相武さんのナレーションが流れていた。

友人撮影の動物(?)

エレクティオン

パルテノン神殿の向かいに建つのは「エレクティオン」。6人の美しい乙女を象った柱が特徴的(実はこの柱はレプリカで、実物はアクロポリス博物館やイギリスにあるとか・・。イギリスにあるのはおそらくトマス・ブルースのせいだな!)で、紀元前407年に完成した、代表的なイオニア式神殿だ。神話では、女神アテナと海神ポセイドンがアテネの守護神の座をかけて争った場所らしい。複数の神々や英雄が祀られていたため、どこが正面か分からないような複雑な形をしているとのこと。

神殿群を見終わったら、もう一度プロピュライア門に戻って退出となる。

ちなみに、プロピュライアの裏にアテーナー・ニケ神殿があったのだが、きちんとみていなかった。反省。

ニケ神殿「ここに・・います・・」

次は丘の中腹に造られた音楽堂や劇場跡を見に行く。

イドロ・アティコス音楽堂

中に入れず見下ろすのみだった。アテネの政治家かつ大富豪だったイロド・アティコスが、父の遺産をもとに、紀元161年にアテネ市に寄贈したものらしい。観客席が大理石でできている。約6000人収容可能で、今でも数多くの催し物で使われているそうだ。

テミスの神殿

神殿、というより神殿跡。数ヶ月前、町田さんが司法試験を受験するというファンに伝えたという「あなたにテミスのご加護がありますように」という言葉を思い出して一人ほくそ笑んだ。

ディオニソス劇場跡

酒と演劇の神ディオニソスの聖域に造られたギリシア最古の劇場で、毎年ここで“ディオニソス祭”が行われていたそう。明らかに偉い人向けと思われる椅子があった。

暑くてふらふらになりながらアクロポリスの丘を出て、次なる目的地へ。

アレオパゴス

アクロポリスの丘を出てすぐ、アレオパゴスという巨大な展望岩。アテネの街が一望できるスポットで、人が集まっていた。

アレオパゴスの展望岩

アゴラ遺跡

喉が渇く。水分を補給してからアゴラ遺跡を流し見する。ここからはアクロポリスの丘がよく見えた。

アゴラ遺跡

古代アゴラ博物館

次の目的地はアッタロスの柱廊内の古代アゴラ博物館。

アッタロスの柱廊

こういった博物館は何をみていいかわからないこともあるが、ここはかなり楽しかった。

建築も展示品も全て美しい(プロポーションや佇まい)。そして人が少なく、空気が澄んでいる。彫刻から語りかけられているような印象。余談だが、ここのトイレには便座がなくてびっくりした。

ヘファイストス神殿

丘の上にあるヘファイストス神殿にも立ち寄る。ギリシャで最も保存状態のよいドーリア式の建築物らしい。巨大。

ヘファイストス神殿

ランチはハンバーガーとカルボナーラとコーラにした。

ギリシャ飯にも飽きてきたから、ちょうどいい。コーラは普段飲まないけど、疲れた体に染み渡る。美味しい!あと、店員さんがソトニコワ激似だった。

食べていると、ネコやスズメがやってきた。ネコは隣のテーブルでチェス?を嗜む若い男性と年配の男性のテーブルをターゲットにしていたが、その後私たちのテーブルのところにやってきて、信じられないくらいかわいい声(猫撫で声)を発しながらお腹をソファに擦り付けていた。
(我々は特にあげられるものはなく・・。何かちょっとしたものをあげたような気もするが、どうしたか忘れてしまった)

あたりにいる犬(暑さでバテている)犬は、セントバーナードのような垂れ耳の大型犬ばかり、席をうろうろしていた。(飼われているのは、小型長毛種ばかりの様子)

ギリシャのすずめ?は腹が茶色で、日本のすずめとは違う品種の模様。

観光電車

歩いて観光電車の乗り場へ。観光電車は快適。風を切って進む。しかし、停留所でよく泊まる。観光電車なんだから当たり前なのだが。

持参した水分が枯渇し、かなり喉が渇いているが、電車に乗って涼しいのでなんとか持ち堪える…。

観光電車の運転手の解説の英語が巻き舌すぎて全然聞き取れない。ギリシャ語の発音は、スペイン語やイタリア語のリズムや語感に近いように思う。

電車でプラカ地区近辺へ。地区入り口には、昨日同様警察が群れをなしており、全員暇そうにしている。観光客との写真撮影に応じている。ギリシャ警察はイケメンが多く、ティアドロップサングラスが似合う。

ギリシャは職があまりないため警官は人気の職業で、警官が増えすぎて人数が余ってしまっている・・・という話を聞いたことがあった。裏付けを取ろうと思ったらそんなデータは出てこなかったので、噂レベルのものなのかもしれない。

ギリシャ人なのか観光客なのかわからないが、グリム童話の怖いおばあさんみたいな人を時々街で見かける。「30秒で支度しな!」のおばあさんみたいな人もいる。

観光電車で1.5周したが、先ほどのランチのお店にいた若者2人がまだチェスライクなゲームに興じていたり、散策中に立ち寄ったカフェでお茶してたイケメンと美女のカップルが隣の店でグリークサラダを食べたりしていた。昼下がりはだらだら過ごすものなのかもしれない。

フィロパポスの丘

夜が近づいてきて、少し涼しくなってきた我々も観光電車を降りて、フィロパポスの丘を目指す。ほぼ登山のような道・・。丘の上まで来ると、アクロポリスの丘がよく見える。

https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g189400-d523835-Reviews-Philopappos_Hill-Athens_Attica.html

ここで、また聖闘士星矢ごっこをしたりして遊んだ記憶が・・

アクロポリスの丘が見える

夜になったアゴラ遺跡を横目で見ながらレストランを目指す。

アルケゲテス門。ローマ時代に建設されたもの。

賑わっていたケバブショップで食べることに。

ジューシーで美味しい。ギリシャで食べたご飯はどれも美味しかった
怖いよ

子供のマネキンに見送られながらフィリッポスホテルに戻る。ホテルはアクロポリスの丘が間近に見えるよいロケーションだった。

夜遅くまでにゃんがお散歩していた
ホテルのロビー