ゲームの主人公と自分の名前と。

世の中には二つのタイプの人間がいる。
ゲームの主人公に自分の名前をつけるタイプと、デフォルトの名前をつけるタイプだ。

私は後者のデフォルト名をつけるタイプだが、ゲームのグラフィックが進化し、本物の人間と見間違えるようなリアルなキャラクターが増えたことで疑問に思ったことがある。

ゲームの主人公に自分の名前をつけるタイプは、本物の人間そっくりの3Dリアルイケメンなゲーム主人公に自分の名前を付けられるのだろうか。

自分の名前をつけるということは「主人公=自分」であり、自分が主人公としてゲームという世界に入り込み、その世界を冒険したいということなのだろう。

ドット絵やデフォルメされた2Dのイラストは、その荒いグラフィックの足りない部分や不明な部分、曖昧な部分、現実との差は脳内で補完できていた。そしてその補完された部分が自分であり、主人公の中に自分が入り込む隙間であった。

だがリアルイケメン主人公は補完する場所などなく、完璧なまでのイケメンなのだ。自分が入る隙間が全く見当たらないのだ。

主人公のことを、キャラクターの一人としてみているのなら何も問題ないだろうが、「主人公=自分」としてみている場合、リアルイケメン主人公に自分の名前をつけても、自分が入り込む隙間がなく、自分と同じ名前のイケメンが活躍するゲームを眺めている気分にならないのだろうか。

ちなみに私は佐々木希そっくりのリアルな美人の女主人公がいたとしても、自分の名前をつけられそうにない。キャラに名前を呼ばれるのが恥ずかしいというのもあるが、ゲーム中、ちょっと席を立ったときに鏡をみてファンタジーから一気に現実に引き戻されそうだからだ。


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