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舞台「イロアセル」感想


作・演出倉持裕、キャストはフルオーディション、会場は新国立劇場小劇場。

もともと倉持さんの作品が好きで、ありがたい事にU25のチケットも取れたので、千秋楽を観劇しました。

見終わった時に、あー楽しかったで終われる作品ではなく、自分の中に落とし込むのに時間のかかるものだったので、ここでまとめてみようと思いました。囚人が言っていたように、文だと考えをまとめられるから。

この先ネタバレなのでご注意ください。たぶん、聞き漏らしたセリフも今の私にはわかっていないこともたくさんありますがご容赦ください。


あらすじ
舞台となる島では、島民が一人一人が固有の色を持ち、話し声や書いた文に自分の色がついて広がり、島中に筒抜けになってしまいます。

つまり、発言すべてが非匿名かつ秘匿性がないのです。なのでだれも批判的なことを言えず、島は一見平穏な日々を送っています。

そこに本土から囚人と看守が送致されてきます。2人は本土の人間のため色を持ちません。また、囚人が収監されている牢屋の周りでは島民の言葉も色を失います。そこで島民たちは、囚人に面会するという口実で牢屋にやってきては、普段は言えないことを吐き出していきます。

島民の忌憚のない言葉から島の抱える問題に気がついた囚人。それを文にしたためたところ、それが島中に広がりアンタッチャブルだった話題の議論が始まります。

急激な変化に島全体がもみくちゃになり、結局島の支配層は逃亡、島民の言葉の色は消え失せます。



名前について
島民は、自分の色にちなんだ名前をつけられていたので、聞いていてわかりやすかったです。
ネグロ←negro(黒)
ポルポリ←purple/púrpura(紫)
バイツ←Weiβ(白)
ナラ←naranja(橙)
アズル←azúl(青)
エルデ←verde(緑)
ライ←ravum?(ラテン語で灰色?)
グウ←??

ライとグウは元となった言葉がわからなかったので、ご存知の方はご教授ください。

衣装について
基本的にみんな自分の色と同じ色の衣装を着ていました。その中で、ライは灰色持ちなのに黄色い服を着ていて、自分の色を「汚い」と受け入れられていないのをひしひしと感じました。バイツさんも同じように自分の色に不満を持っていますが、それでも限りなく自分の色(白)に近い薄いブルーのスーツを着ています。彼は村長であるネグロの黒い色に圧倒されてしまうことが多いのですが、その場でスーツの色が黒に染まっていくのが不思議でした。逆撫ですると色が変わるような生地だったのでしょうか。
囚人は白黒の縞模様の囚人服。声に色を持たない本土の人間ですが、快活な人かと思えば権力側に寝返ってしまうところが衣装の色に現れている気がしました。


感想〜私はどちらの住人か〜
匿名性も秘匿性もない、全ての言動が筒抜けのこの島では、全ての言動に責任が伴います。批判や悪口は言えません。濃い色を持つものが発言力を持ち、汚職がはびこります。

本土や囚人の前では、発言は色を持たず、匿名性と秘匿性のある会話ができます。その会話は、囚人の書いた文(これは現実社会の新聞に当たると思います)を通して社会を揺るがすことになります。


私たちは今どちらにいるのでしょうか?そして、どちらでの発言が、本当に意味のある発言なのでしょうか?

私は始め、インターネットの普及とともに匿名で発言しやすくなった現代=本土や囚人、検閲や表現の規制で本音を言えなかった過去や未来=島、という構図で捉え、自分は本土の人間だと思っていました。

しかし、本当は私たちは、本土と島がないまぜになった中にいるのではないでしょうか。そしてどちらかというと島の方が強調されてきているように感じます。

インターネットの普及とともに、匿名性に笠を着た発言が取り沙汰されることが多くあります。しかし、インターネットが加速したのは匿名性だけではなく、非匿名性も非秘匿性も加速しました。
匿名で発言しても実名住所職業までが割り出されたり、囁いたつもりでも多数の画面を反響して世界中に響き渡ることがあります。私たちは無色透明の言葉を吐いているつもりでも、実はインターネットの力によって、島民のように色つきの煙を世界に撒き散らしてしまうことがあるのです。

となれば、匿名だろうと実名だろうと、隠そうと隠さまいと、全ての言動には多少なりとも責任があります。当たり前だけど。

それは息苦しいとも言えます。

でもだったら、私は色つきの言葉を堂々と吐いていきたい、と思います。

島民に、もし自分の言葉も色がついて広まってしまうとしたらどう思うか、と問われた囚人は「だったら開き直って全部言っちゃうかもしれません」と笑顔で答えました。

島が汚職にまみれてしまったのは、言葉に色があったからと言うよりも、場を荒らさない、という暗黙の了解を、右にならって守ってしまったからだと思います。もし、普段から忌憚ない意見で少しは場が荒れていれば、少しは汚職を抑えることもできただろうし、囚人の手紙であそこまで社会が揺らぐこともなかった。誰でも発言できるよう、常に誰かが発言しているようなニュートラルな社会が必要だと思うのです。特に事なかれ主義、ものを言わないことが美徳とされる日本では。

もちろん、匿名だから言えることは沢山あります。しかし、匿名で何かを動かすというのは難しいことです。作中では匿名であるから言えたことが、囚人の手紙という形で人々を動かします。しかし、それは囚人の書いたものであり、もはや匿名とは言えません。また、匿名である分その根拠は問えず、島民は憶測で考えるしかありません。そしてのちに囚人が支配層に買収されて記事の内容が変わっても気づけません。


島民は生まれつき色が決まっていますが、私たちは幸いなことに自分で色を変えることができます。その色や濃さは立場や周りからのイメージなどによって変わるのでしょう。専門性や信頼を得て、濃い色が吐けるようになりたいです。あるいは、濃い色を吐く人が正しく吐けるように支えたい。


実名で自分の意見を言うというのは、様々なものにがんじがらめになった大人にとって難しいことなのだと思います。政治家が、求められていることも、正しいこともわかっているだろうに何にも言えない姿を見ると特にそう感じます。


だからこそ、若い今のうちに色のある言葉を吐くことに慣れたい。難しいことならなおさら、意識して島民になりたい、

と匿名のnoteに書いてみるのでした。



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