キノコの苦しみ
図書館に本を返した、帰りに小さな公園に寄ってみた
このところの大雨で、地面は湿っていて蒸し暑さとあいまって、不愉快な感じがただよっていた
公園の四阿にも何か得体の知れない、不潔そうな液体がたまっていて不快であった
多少、木があるので日陰があるというのがその公園の美点で、ほかのことに関しては水道がとめられていないこととベンチに例の野宿者を排除する嫌ったらしい装置がついていない等の美点はあったが、それにしても地面が湿っていて、四阿の床に黒い液体がたまっているので、多少の美点は帳消しにされてしまった
それにしても地面が湿っているというだけで、人はこんなにも不愉快になるものなのだろうか?
ただ実際、不愉快ではあった
地面をみるとキノコが生えていた
種類はわからない
白っぽいキノコであった
キノコに興味がある人にとっては常識かもしれないが、いわゆる一般的にキノコと呼ばれているものは、キノコの本体ではない
あれはこのままここにいるとわたしたちは、死ぬほかないからとにかくここから逃げようというキノコの意志がトランスフォーメーションした結果、生まれたものである
キノコの思念を宿らせた胞子は風によって運ばれ、別天地での生活を目指す
そんなわけだから、キノコとはキノコの苦しみが形をとって現れたものと解釈して差し支えないのである
少なくとも僕にとってはなんの差し支えもない
キノコの周辺にはカラスがいた
カラスはキノコに興味をもってつつき壊しはするものの、食べはしない
あの悪食のカラスが食べないということは毒があるのかもしれない
カラスが食べないからといって、それを毒キノコだと断定するのはかなり危ういことである
じゃあ、カラスが喰っているキノコは食べられるのだという解釈が生じてしまうからである
実際、それに近い迷信はあって、人が命を落とすこともある
ともあれ、カラスが突き壊したキノコを食べたいとは思わなかった
ただキノコ的には、キノコがその場から持ち去られた方が、別天地での生存の可能性が高まるので都合がいいのかもしれない
人はキノコの意志を直接的に感知することは難しいが、キノコに対して食欲をもつという形でキノコの意志を継承するということができる
できる、というかそうしてきたので人類とキノコの共同性の歴史は、今後も続いていく
僕は、それをカラスとともに見守っていくことを堅く決意して、筆を置こうと思う
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