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【麻雀】雀豪列伝

麻雀プロ

かの雀聖「阿佐田哲也」さんが構想し、生まれた麻雀プロという職業が、この令和になりMリーグという形にまでなったのは、本当に夢のような出来事ですね。

Mリーグのお陰でまた麻雀熱が再燃しはじめております。

色々諸事情もありまして、現在は天鳳に触るくらいですが、昔はよくあちこちに打ちに出かけたもんです。麻雀がただ楽しくて、強くなりたくて、プロを志した頃もありました。

その頃から現在に至るまで、記憶に残る麻雀プロや鉄強との遭遇を振り返ってみたいと思います。

※プロ団体は当時の所属を記しています。

ジジイ(認知症初期)の記憶を頼りに30年以上昔の出来事を語りますので、事実と異なる部分がある可能性が高いです。

またイラストはすべて管理人のイメージによって描いたラクガキのごときものですので、事実とかけ離れている可能性が高いです。文句は受け付けます。


20年間無敗の裏プロ
「桜井章一氏」


初っ端から裏プロでスミマセン。

初めて生でお会いした麻雀プロ。

変なオジサンおっぴ氏、東京下町葛飾に生まれ、10代の頃からメンツが集まらない時は近所のピン雀や、点5の店を渡り歩いておりました。

まだ昭和の終わり頃、よく通ったのが、船橋(学校とは反対方向)にある点5「イーグル」。

そこにゲストでお見えになったのが、後に「雀鬼会」を主宰する桜井章一さん。
まだメディアに出たての頃(昭和61年頃?)で、アウトローのにおいをプンプンさせてて、超怖いのよ。

幸運にも同卓させて頂きましたが、マジ衝撃的でした。麻雀て武道なん?って。
背筋ピンッて牌切るスピードが尋常じゃないの。
最初切ったの見えなかったもん。

眼力半端ないし、ポンでもしようものなら「ギヌロ!」って聞こえそうな眼差しを向けられます。なんでそんな怖いのよ。殺し合いなの?

同卓はオレをはじめ、小僧ばかりなのにぃーこれがライオンがアリを殺すのにも全力を尽くすってヤツだわ。

南場でオレのメンピンドラ1にバシッと1発で放銃してきて、トップ目になり「えっ勝てんじゃね?」と思ったら、結局最後親マンツモられて捲られました。

その何年か後も雀鬼会発足前の「牌の音下北沢」で、何度か鍛えて貰いましたが、一度としてトップを譲りませんでしたよ。

あの姿勢は本当に凄いと思いました。

自分の店の自動卓に激突しながら、若い衆と相撲取るのはどうなの?
ちょっとオカシイんじゃ?とは思っていましたが。

その後の雀鬼会の隆盛は凄かったですね。最強戦の連覇とか。
竹書房が麻雀プロを認めない宣言したりとか。

目に見える情報に惑わされず、「感性」を磨け

みたいな教えだった気がしますが、

Don't think feel(考えるな、感じろ)的な

と思うと、いまだに参考にすべき部分はあると思ってしまうのはオレがジジイだからなのか。

デジタルの時代になって雀鬼会も下火になり、ネットでいろいろ言われているのを見ますが、本物見たらマジ凄いから!あの頃の桜井章一氏。今は知らんけど。

先日堀内正人さんのyoutube動画を拝見しましたが、まだあの卓使ってましたよ(´°д°`)

お雀子クラブ
「布施清恵プロ」最高位戦


雀鬼のあとにお雀子。なぜなら布施清恵ちゃんも女子大生時代に船橋「イーグル」でたまーに同卓していたから。まだプロじゃなかったと思うけど、彼氏の前B君もたまに同卓しました。

当時、「お雀子クラブ」という「おニャン子クラブ」をパクった麻雀アイドル的な女の子たちが雀荘ゲストに派遣されていました。
そこに所属されていた気がしますが、違ったかな?。

余談ですが、ユカさんてイチ押しお雀子メンバーは雀荘ガラパゴス(テレフォンカードをやり取りする独特なお店 )の娘さんでしたね。

布施清恵ちゃんはその後、最高位戦初の女流プロ雀士として注目され、活躍されました。

今でこそ若い女流はたくさんいますが、まだ二階堂姉妹も世に出る前のこと。

なぜか気がついたら、布施清恵ちゃんと彼氏はオレが住んでたアパートの上の階に住んでいて、発売になると「月刊近代麻雀」を部屋まで届けてくれた。原稿書いてるからタダで貰えるからと。ありがたかったなぁ。

彼氏の前B君とオレは何度も同じCリーグ予選に挑戦したけど、結局1回も合格出来ませんでしたとさ(´°д°`)ヨワイワー

その後最高位戦トーナメントでも清恵ちゃんと同卓したり何度か戦ったけど、いつの間にか引退されて、いまごろ幸せになってるといいなぁ。

カミソリ灘
「灘麻太郎プロ」プロ連盟


ある日、立石のピン雀に「カミソリ灘」がゲストで来るってんで、ひとりで行ってきました。

そんトキはもう適当にあしらってもろて。

「打ち慣れてるね」なんてお世辞を言いながらゲストをこなされている様子でしたので、改めて感じるものは無かった気がします。

「カミソリ」のような鳴きもあったか、無かったか。忘れた。

怪物・モンスター
「高木賢治プロ」プロ連盟


両国に「談話室」って道場があり、そこに何度か通った事があって、お会いしました。

「怪物」「モンスター」「高木賢治」たぶん「月刊プロ麻雀」とかの写真のイメージだと面長な感じでしたので、「モンスター」などの愛称からデカイオッサンだと思ってたら、全然デカくなくて…アレッ?て感じでした。

同卓した記憶がないけど、たぶんしたはず。だって「高木賢治道場」って呼ばれてたから。

さっき見たら3人しかいない九段のウチのおひとりでした。現役なのね。

関西の重鎮「曽根幸男プロ」順位戦101


ある日久しぶりに両国の「談話室」に立ち寄ったら、いつの間にか101の道場に変わっていて、アットホームな雰囲気で気がついたらオレも卓について開戦。

両面チーしたタンヤオ三暗刻をツモって「1300、2600」。

曽根さんに「おっ金子正輝みたいやな」って笑われた事だけ覚えてるわ。

うーん朧げな記憶だが、西田秀機プロもいたよーな?

101は当時マニアックな印象があり、(今も?)それからは行く事はなかったな。

元祖麻雀ライター
「野上武紫プロ」最高位戦


この方はオレが1番良く知っている麻雀プロ。

平成の初め頃、最高位戦にファンクラブ(以下SFC)が出来たというので、吉祥寺支部に参加してみた時の支部長さん。

故 飯田正人永世最高位に「大魔神」のニックネームつけたのはこの人。ついでにオレの天鳳ネーム「スーパー手なりマシン」も。

当時の麻雀界を盛り上げた、情熱も才能もあるオレの師匠。

一見気難しい、芸術家や小説家のような雰囲気もありながら、オレ達プロ志願小僧の面倒見も良く、仕事も出来るマルチなヒト。

当時、SFCにいたメンバーと、野上プロを三蔵法師にして「麻雀西遊記軍団」を結成。

師匠のツテで「月刊プロ麻雀」や「SFC会報鬼ヤンマ」に挿絵を描かせて頂いたり、「週刊実話」の誌上対局に出させて頂いたり、当時若手やアマチュアの登竜門だった「阿佐田哲也杯」の月例会のお手伝いしたり、この頃が1番麻雀界に貢献させてもらってた筆者の青春時代だわ(遠い目)

肝心の野上プロの麻雀ですが、はじめて触れたデジタル?だったと思う。

オレ自身デジタルを理解してないアナログ昭和打法なので、結構衝撃的でした。

前局放銃したから手が落ちると思ってたから。
 
「牌勢」や「ツキの流れ」などの抽象的なものを指針にして打牌を決めるべきではないなど、当時としては先進的な内容を「月刊プロ麻雀」などによく連載されていて、デジタル戦術を展開されていました。

漫画原作も手がけていて、代表作はてらおかみちお先生と組んだ「ナナコ・ザ・アイドル」

現在は麻雀界から離れて、多種多芸な他の方面で活躍されています。

youtubeはチャンネル登録させて頂いてます。

梁山泊会長
「小坂淳プロ」最高位戦

府中麻雀サークル「梁山泊」の会長様。

入会した覚えも会費払った覚えも無いのに、SFCの繋がりでいつの間にかオレは梁山泊の所属選手になっていて、あちこちの大会に出させていただきました。

Aリーグに三浦勇雄、Bリーグに小坂淳、Cリーグに野上武紫と当時の最高位戦では梁山泊選手がそこそこ活躍してましたね。

翻牌マスター
「三浦勇雄プロ」最高位戦


梁山泊の繋がりで、勇さんにも良く可愛がって貰いました。

オレ達プロ志願小僧どもの兄貴分的存在で、Aリーグも良く応援観戦しに行きました。

本当にAリーグでも強くて、平成元年の最高位決定戦にも進出したのですが、当時最強の「飯田正人プロ」の四連覇の最初の年だったので惜しくも最高位を逃しました。

あの頃の飯田正人プロの強さも半端なくて、決定戦で大三元引き和がったのを観戦した時は白目になりました。

勇さんは、役牌の扱いを丁寧にされる打法で、当時最高位戦では序盤の字牌・役牌は合わせ打ちする風潮があったように思うのですが、それを効果的に逆手に取るのが特徴だったと記憶しております。

今考えると現代的な麻雀に近かったんでしょうね。

勝ち逃げはこの私が許さない「井出洋介名人」最高位戦


間違いなくこの方は麻雀プロという存在を一般に知らしめた立役者だと思います。なんつっても東大卒ですから。

井出洋介名人がメディアに出てくる前は、麻雀プロといえば小島武夫プロとか桜井章一さんとかちょっとアウトローな雰囲気の方たちでした。

SFCにゲストで来ていただいたり、あの頃仙川の「オレンジハウス」(協会の福井さんとか柏原さんがいた頃)に遊びに行ったり何度か教えて頂きました。

井出洋介プロも本当に後輩の面倒見が良かったので、たくさんのプロ志願の若者が集まってた。

最高位戦を離れて、麻将連合μを立ち上げられ、小林剛プロがMリーガーとなって優勝。

個人的にはオレと同年代の「武則輝海プロ」「柏原 純プロ」の活躍も楽しみにしております。

どーでもいーけど昔から思ってるんですが、「武則輝海」って苗字も名前みたいですね。「安彦良和」みたいな。

たぶんつづく

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