デイビー・クロケットとは何者なのか-アメリカ文化から見るディズニーランド
デイビー
デイビー・クロケット
ぼくの憧れ〜
こんな曲を聞いたことはあるだろうか?
(もっとも、パークに詳しい方にとってはすっかりおなじみだと思いますが)
聞いたことがない方はカントリーベアーシアターに行くか、以下の動画をご参照されたい。
ウエスタンランドに足を運び、陽気で楽しいブルーグラスのBGMに耳を傾けると密かに流れているこの曲。
今日はそんなデイビー・クロケットについて。
デイビー・クロケットという人物は何者なのだろうか?
デイビー・クロケットはアメリカの英雄だ。
特に、西部開拓時代を象徴するアイコンのような人物。
1836年のアラモの戦い(メキシコ共和国とテキサス州の独立戦争)で戦死したとされる。
先ほどのデイビー・クロケットの歌は歌詞の全てが彼の武勇伝となっている。
一部を抜粋して見てみよう。
と、まあこんな感じでデイビークロケットの武勇伝の数々が連なっていく。
個人的には、「わずか三つで熊退治」という部分がその豪傑ぶりを物語っていて好きな箇所だ。
(日本で言うと金太郎みたいな感じか…?)
要するに、デイビークロケットはその名を聞けば誰もがわかるアイコニックな存在だったわけだ。
実際に、東京ディズニーランドにも「デイビー・クロケットのカヌー探検」というアトラクションがあったくらいだ。(現在は「ビーバーブラザーズのカヌー探検」と名前が変わっている)
なぜデイビー・クロケットなのか
しかし、日本ではあまりメジャーではないこのデイビー・クロケットという人物。
なぜデイビー・クロケットがここまでディズニーランドでフィーチャーされるのか?という疑問を抱くだろう。
それを紐解く鍵がやはり、1950年代のアメリカにある。
1950年代のアメリカではデイビークロケットは大変な人気者だった。
先述のデイビー・クロケットの歌は1954年に作られている。
こんな感じで尻尾のついたアライグマの皮で作った帽子を見たことがあると思う。
これはアライグマの毛皮をかぶっていたというデイビー・クロケットのイメージから「クロケット帽」と呼ばれている。
1950年代へタイムスリップする映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の作中でもクロケット帽をかぶった子供が登場することからその人気ぶりはうかがえる。
しかし、なぜ1950年代にデイビー・クロケットが流行したのだろうか?
先述のように、デイビー・クロケット自身は1800年代の人物である。
その流行に一役買っているのが、なんとディズニーランド(アナハイム)なのだ。
デイビー・クロケットの流行は、1950年代に放送されたディズニーランドの広報番組「Disneyland」の影響が大きい。
アナハイムのディズニーランドは1955年にオープンしているが、そのオープンの一年前からディズニーランドの告知をする目的でパークのコンセプトやエリアの解説を行うオリジナル番組が放送されていたのだ。
そして、なんとその番組のホストはウォルト・ディズニー本人が勤めていた。
つまり、世界初のテーマパークディズニーランドは他の遊園地とは少し違いますよ、ということをウォルトおじさん直々に教えてくれた特別な番組というわけだ。
その中での人気コーナーの一つに、“Davy Crockett”というミニドラマシリーズが存在した。
このシリーズはデイビー・クロケットブームの火付け役となり、1950年代のアメリカ文化を代表する存在となった。
このドラマが放映された翌年の1955年(ディズニーランドの開園と同じ年)には“Davy Crockett: King of the Wild Frontier”という映画もディズニーによって制作されている。
先述のデイビー・クロケットの歌はこの一連のドラマ・映画のテーマ曲だったのだ。
つまり、ディズニーランドを読み解く重要な役をデイビー・クロケットは担っていたことになる。
アメリカ精神の象徴としてぴったりだったデイビー・クロケット
ここからは筆者自身の意見となるので、一個人の見解として読んでいただきたい。
なぜデイビー・クロケットが1950年代に爆発的な人気を誇ったのかを考えてみた。
デイビー・クロケットは西部の英雄だ。
先述のアラモの戦いとはメキシコから独立を果たしたいとテキサス側と支配下に置きたいメキシコ共和国側の戦いである。
デイビー・クロケットはテキサスの独立を支持し、戦い、戦死した。
自由を求めて権威に立ち向かい散っていったのだ。
その去り際といい、クマを素手で倒すほどの豪傑さと家族を愛する慈愛に満ちた生き様。
そんなデイビー・クロケットは強く・正しいアメリカンヒーローとしての立ち位置にピッタリと収まる存在であったのではないか?
西部開拓時代という野生的かつ自由なイメージもロマンティシズムをくすぐる要素だ。
西部開拓時代ほど、理想化される時代も珍しい。歴史の浅いアメリカにとって西部開拓時代とは心の原風景なのだろう。
また、ウォルト・ディズニー自身が熱心な共和党支持者だったことも押さえておきたい。
1950年代にアメリカで吹き荒れた赤狩りの波は敵対する共産主義を排除し、資本主義側を理想化することになった。
アメリカ中西部出身のウォルト自身にとって、自由で男らしいデイビー・クロケットの存在はまさにパクス=アメリカーナを象徴する英雄としてアイコニックな存在であったのではないかと思う。
ディズニーランドは「理想的なアメリカ」を具現化した場所であり、フロンティアランド(日本でいうウエスタンランド)にはデイビー・クロケットが存在するのは必然だったというわけだ。
本記事では、デイビー・クロケットについて紹介した。
ぜひ読者の皆さんがディズニーランドに足を運ばれた際には、カントリーベアーシアターを鑑賞し、デイビー・クロケットのテーマに耳を傾けていただきたい。
Reference
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