暗い話って元々流行るようなものではない

お久しぶりです。今回の記事はひっっっさしぶりにnoteを書くので筆ならしがてらに書いていこうと思います。



最近、またアニメの視聴数が増えてきたように感じます。それだけ最近は面白い物が増えてきたのか、自分が新しい作品をまた受け入れられるようになったのかはよくわかりません。もしくわVtuberの視聴が減ったからかもしれませんw



アニメを見ると同時に感想ツイートや感想スレをまとめてるサイトとか見に行きますと、最近は暗い作品は受けない、明るい作品が求めれらてるとか、暗い展開の作品は実際面白くないなんていう意見を見ます。



しかし自分は思うんですよ、暗い作品が流行の主流な作品な訳なくない?と確かにエヴァやまどマギ、進撃、呪術とか暗い展開がある作品が大ヒットしてますよね、でも最終的にはですよハッピーエンドに向かってるじゃないですか、ここでいう暗い作品っていうのは最終回までえ、、、ここで終わりだったり登場人物全員死亡だったり、そういう作品だと思うんですよ。



作品の中で暗い展開があるのは必要不可欠だと思います、王道物だろうが敵に敗北したり、時には仲間が亡くなったりと、ごく普通な展開だと思います。それがなかったりするのが「なろう系」だったりします。



先程の例にだしてはいませんでしたが、最近暗いものが流行った要因と思えるのは最近2部が始まった「チェンソーマン」からかなって感じますね。毎週月曜日にはTwitterがお祭り騒ぎなような気がします。それに続いてジャンプ作品ですが「タコピーの原罪」ですね、あの作品は自分も凄くハマっていたので鮮明に覚えています。金曜日の0時が待ち遠しくて、見終わった後に考察したり、他の考察してる人の意見見て、来週はどうなるんだろうと待ちわびていました。



これらに自分が思う暗い作品のヒットって目立つことなんだと思います。それも現代社会はどちらかというとネガティブな感情の方が共感を得られたり、拡散されやすいです。普通に漫画やアニメを楽しんでいれば王道な作品だったり、ギャグ路線、スポーツものが面白いと感じます。




ただこれらの作品は王道がゆえにSNSでバズるような現象はあまり多くないと思います。大きな伏線回収したり、新章突入したりすると盛り上がったりしますが、そういう作品も王道の作品の中でもわずかなものです。ただ流行っているいわれる暗いものは毎週誰かが酷い目にあったり、死んだりと感情が揺さぶれるシーンが多いと思います。



それを真似てなのか、似たり寄ったりそういった作品が増えたような気がします。それらをみても芯がなく、ただただ暗いだけで面白いと思わなければ意味がありません。流行りが生み出した面白くない作品がこの暗い作品は流行らない、今の時代ではないといわれるゆえんかもしれません。



正直、自分も流行るというか、どの時代でもそういう作品って需要は間違いなくあるとは思うけどこれらの作品が主体となって漫画、アニメが展開されることってありえないと思うんですよね。それが起こりそうになったがゆえにこういう現状が生まれているのかなと。



まぁ暗い話って実際問題、流行るとは思えないよねっという話はいったん区切りをつけて、暗い話が好きな人から昔から今に至るまで読んできた作品や何故必要と思うかと書いていこうと思います。



初めに鬱作品というのは、最終回でハッピーエンド?と思える作品だったり、誰がどう見てもバットエンドといえる作品だと思います。鬱作品の中でも色々と種類があります。絶望的な展開が続くが、登場人物はわずかな希望を諦めず立ち向かって進んだり、進むがその先にも更なる絶望があり立ち直れないところまで堕ちてしまったり、ただただ胸糞悪い展開が続き、最終的に誰も救われない作品だったりと、ただどうしてそんな作品読むの?暗い気持ちになるなら読まなきゃいいのにと思われるかもしれません、そう思うなら読まなければいいだけです、それでも自分が読むには理由があります。



そんなに難しいことはないです。この世にハッピーな連続は続かず、バットな展開が存在するから、それに向き合うために、そういう苦労を見ることで自分だけじゃないと思い込むためです。



フィックションだろうが自分が絶望と感じた時に、それより酷い惨状を知っていればそれと比較して、まだマシと自分の中で鼓舞できます。もちろんこれだけが目的で作品を楽しんでるわけではありません。



暗い展開が好きと言われれば好きです。主人公がキラキラ生きて、困難も努力と友情でつかみ取る、こういう王道な展開も勿論好きです。それと同時に才能でわかる超えられない壁、抗えない絶望を見るのがもっと好きなだけです。努力は報われると思うかと聞かれたら、答えはYESです、努力の形は様々ですが、その努力したことについての力は少しながらも身についてると思うからです、身についていないのなら努力が足りない、そういう声もありますが、それは自分に合っていない、身につけられるほど努力が継続できない、俗にいう努力する努力が足りないってやつだと思います。
諦めが悪いのも才能なんていいますし、自分でもうだめだと思ったら、誰が何と言おうとダメな時はダメなんです。




結果が出せるかと聞かれたら、それはハーフハーフ50%です。努力した力を出す、タイミングなどに運は絡みます、確実に結果が見える努力限られていて、自分は勉強と筋トレだと思います。結果が目に見えてわかりやすく、自分でも成長を実感ができるからです。
それでも成功が約束された努力は存在しないと思っています。そして努力に限界は存在すると思います。更なる高みを目指すなら努力を怠らない人達と戦うことになります、そうなった場合間違いなく才能というものにぶつかると思います。
努力をする効率がいい才能、要領が明らかにいいといった才能、無駄ではないんです、ただ超えられない壁っていうのは間違いなく存在してて、超えるには壁より効率よく追い抜かす気合いと努力が必要で、それができる人間がほんの僅かしかいないと思うからです。



こういうのって実際ぶつかると酷く痛感します、自分が立ち直れないほどに、ただそれらを鬱漫画を読むことで軽減できると自分は思っています、というか軽減されていると思います。フィクションだから現実ではありえないような不幸の連続だったりしますが、現実は小説より奇なり、実際ありえないようなことも起こってたりするものです。
それと自分が思っている想定外のことが起こると心に受けるダメージは大きいです。漫画やアニメで絶望という絶望をしり噛みしめ、受け入れることで少しは気持ち的に楽になれると思っています。



勿論現実とフィクションの区別ができてないなんてわけじゃありませんが、気持ち的な問題では少しは楽になるのかなと思います。
あとは暗い展開に限界って見えないんですよね、それこそ底がない奈落のように、いろいろな絶望がある、明るい作品ていうのは結末が目に見えて予想できます。最後に立ちはだかる敵を倒したり、目的を遂行したりと、それまでの過程を楽しむものですが、やはり結末が予想できてしまうのは少し物足りないと思ってしまいます。
しかし絶望には決まった終わり方は存在しないと思います。
色々あーだこーだいってきましたが作品として鬱漫画を楽しんでる一番の意見は予想ができない展開が待っている、それだけかもしれません、結局先程から述べてきたのは結果からついてきた意見で、鬱漫画にハマり始めてきっかけは先の展開が読めないワクワク感なんだと思います。


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