見出し画像

決算数値から見る清水エスパルスの足取り(その3) -2010年度-

今回は、エスパルスの歴史においてもターニングポイントとなった2010年度を少し深掘りしてみます。

1 2010年度の出来事

2010年度は、長谷川健太監督体制の終焉の年です。

好成績を残しつつもタイトル奪取に届かなかった長谷川監督を契約満了とし、外国人監督招聘に舵を切ろうと、シーズン終盤でクラブが動きました。
そのオフに主力選手が一斉に退団した「大脱走事件」が起きた年でした。

この年を境に、2012年のカップ戦準優勝はあったものの、2015年のクラブ史上初のJ2降格へと凋落の道が始まります。2010年度は大きなターニングポイントであると言えるでしょう。

2 決算数値から見えてくるもの

(1)2010年度の決算数値で注目すべき項目

2010年度の決算数値で注目するべき項目があります。「当期純利益▲8,000万円」「繰越利益剰余金▲6,400万円」となっています。
簡単にと言うと、当期純利益がマイナスは単年度赤字。繰越利益剰余金がマイナスは過年度から積み重ねた利益を使い果たしてしまった状態だったわけです。

2006~2012年度主要数値推移

前回で触れましたが、2010年度までの収益はリーグ平均レベルで推移し、大きな伸長はありません。
その中でチーム人件費が増大し、財政難に陥っていたということだと思われます。

(2)赤字の裏にあるもの

赤字に陥いることが予想されても、親会社の鈴与からの追加支援が無かったのだろうと推察されます。でなければ、赤字は起きてなかったはずです。
スポンサー収入が12~13億円で推移していることからも、鈴与のスポンサー料はほぼ一定の額であり、それを超えて支援しない方針だったと思われます。

(3)クラブが切った舵の方向

財政改善のためにクラブがやることとしては、収益改善か、歳出削減かをする必要があります。また同時にそれを行う。

クラブが行ったのは、選手整理での歳出削減。そこで比較的に年齢と年俸が高い選手をターゲットにした。それが伊東、市川、ヨンセンらだったと思われます。
下表では、約15億円まで伸長したトップチーム人件費が2011年度以後に減少に転じていることが分かります。

2006~2012年度 トップチーム人件費推移

それに併せて、トップチーム人権費に投じる資金が限界となっているので、他クラブからオファーが来た選手に対しては、それを上回る魅力的な条件提示ができなかったと思われます。
その他にも、クラブと選手との信頼関係が崩れていたとの噂もありますが、大脱走事件の引き金の一つは、クラブの財政難があったと推察されます。

(4)営業努力の不足

財政改善を図る方法として収益改善も当然としてあります。しかし、クラブはそこに注力をしていなったと言えます。
下表で分かるように、クラブ収益の大きな柱であるスポンサー収入は12~13億円で推移し、大きな伸長がありません。

2006~2012年度収益数値推移

後の回で触れますが、左伴社長時代は大改革により、スポンサー収入を約19億円にし、営業収益を約43億円の規模に伸長させています。つまり、改善できる余地は多いにあったのです。
鈴与グループからの支援に限界があったのならば、スポンサーの新規獲得を目指せば良かったのです。

その収益改善努力をせずに、歳出削減に頼り、結果としてトップチーム人件費は抑制された。この結果がこの後の惨事へと続いていくのです。

3 まとめ

▶収益の伸長がない中でチーム人件費が増大し、財政難に陥った。
▶財政改善の大きな柱として、チーム人件費抑制に舵を切った。
▶結果として、主力の一斉退団「大脱走事件」を引き起こした。

次回は、2011年度から2015年度のJ2降格に至る時代に触れます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?