ネイティブアメリカンの世界への旅(2)

<歴史的背景と現状(*)>
インディアンの言葉に「宗教」という言葉は存在しない。彼らにとって創造主である偉大なる精霊グレートスピリットを信仰し、その創造物すべてとつながりをもつことはWAY OF LIFE、つまり「生き方」そのものだという。

彼らは、空をおじいさん、大地をおばあさんと呼び、動物たちを四つ足の「人々」そして木々や植物をブラザー、シスターと呼ぶ。また儀式の中では「オールマイリレーションズ(ラコタ語でミタクエオヤシン)」という「我々はみな親戚ですべては繋がっている」という意味の言葉をよく使い、すべてとの関係を常に思い出す習慣をもつ。

しかし、白人社会に征服された後、彼らは自分たちの言葉を話すことも、太鼓をたたいて歌うことも禁じられてしまった。メディスン(薬草)は「蛇の食べもの」、祈りのための聖なるパイプは黒魔術の道具と非難された。そのような状況下では、パイプを土の中に埋めて隠したり、伝統的儀式を隠れた場所で極秘に行うなど、少数の者たちが細々とスピリチュアルな伝統を継承していくしかなかった。

インディアンの儀式や伝統文化に対する規制が緩和したのは第二次世界大戦後のことだった。しかし、それまでにすでに制度としてネイティブの子供たちが多く白人家庭に養子にだされたり、キリスト教の寄宿学校に義務的にいかされたりと、白人社会への過酷で強制的な同化が行われていた。その過程で、キリスト教に改宗した人たちも多く、今日では彼らの居留地にチャペルや教会も見うけられる。一方、都会に出ていき、白人社会でなにがしらの生活を始めた者たちもいるが、一般的にこのような抑圧された境遇の中で自分たちのルーツやアイデンティティ、誇りを深く傷つけられたことは確かだ。

こうして政治的抑圧と社会的偏見にさらされながら、経済的にも日の目を見ず、アルコールや自虐行為にのめり込む者たちも増加した。私は2か月間のアメリカ滞在中、前半はスピリチュアルな側面ばかりにフォーカスしていたため、彼らの現状には注意を払っていなかったので、ネイティブたちの間にはアルコール中毒者、家庭内暴力の件数、投獄者の比率がきわめて高いと聞いた時には驚かされた。彼らは現代においても、アメリカ社会の底辺に置かれた存在なのだ。そして、たくさんの問題を抱えている。

その問題の一つは、政府との対立だ。政府はインディアンたちのムーブメントを抑圧したり、居留地に眠るウランなどの資源を利用するためにFBIがらみで策略を講じたり(例えば、インディアン同志を対立させるなど)、
ネイティブにとって不利な法律を策定してきたという。そのような話を聞くとまるでアクション・サスペンス映画のストーリーのようだ。(映画「サンダーバード」やベストセラー「In the Spirit of Crazy Horse」デニス・バンクスの半世紀「聖なる魂」などを参照されたい)

例えば6月にアリゾナ州のフラッグスタッフ市に滞在中のことだった。近くのナバホ居留地で何人もの子供たちが次々と原因不明の死を遂げた。それぞれが同じ症状を訴えていたという。日本のニュースでもそれは報道されたかもしれない。世間では水が原因だと言われていた。しかし、インディアンの地方新聞はCIAから漏洩した極秘情報の写真とともに、その原因が政府が新化学兵器の実験をその地で行った結果であると報告していた。もしそれが事実ならば、何と非道なことか。政府が、新しい化学兵器(ガスや細菌)が動物にではなく、実際そのターゲットとなる人体にどのような影響を及ぼすかを人口密度の少ない居留地で実施することを黙認しているというのだ。それに相手がインディアンだから…という偏見もあるという。これがただの噂であることを願いたい。

<アメリカンインディアン・ムーブメント>
政府レベルの不当な行為に反対すべく、1968年AIM(アメリカンインディアン・ムーブメント)の組織が結成された。リーダーには、無実の証拠が裏付けされながらも、今日(1994年当時)もまだ投獄され続けている英雄的リーダー、レオナルド・ペルティエや、日本にもなじみのあるデニス・バンクス、ラコタ族のチーフクロードックなどがいる。彼らは設立当初から政府機関やFBIと真っ向から戦った。特に、サウスダコタ州などの居留地では戦いが続き、多くの血が流された。彼らの勇敢な活動は、インディアンたちがもう一度自分たちの先住民としての自覚と誇りと希望を取り戻すために大きな影響力をもったという。そして実際には、インディアンたちに対する不正と言えるような政府レベルの行為や態度をマスコミに暴露するなど、全米規模での抑圧を覆す活動を行っていった。現在、彼らは法的手段に訴えたり、メディアにアピールしたり、セイクレッド・ランなどの平和的デモを通じて活動を続けている。

サンダンスの季節7月、私はネイティブアメリカン・ツアーのグループとナバホやホピ族の居留地を訪ねる機会を得た。箱庭のようにこじんまりした日本の自然に慣れた私は、その土地の広大さに圧倒された。それは地平線が東西南北に360度広がる、赤い岩肌がダイナミックに起伏する乾燥地だった。

過去に先住民との折り合いをつける中で、アメリカ政府はインディアンの主な部族に土地を与え彼らの居留地とした。(中には種族として認められず、土地を与えられなかった部族も数多くあるという。)ただ、居留地が認められたと言っても、大抵の場合ほ辺鄙な場所にある不毛に近い土地だった。それでも、それらの土地には彼らが聖地として大切にしてきた場所がいくつもある。例えば私たちが今回訪ねたナバホ居留地にあるビッグ・マウンテイン。またホピの居留地を含めたその近辺一帯は4つの聖山に囲まれた「母なる大地の心臓部」と呼ばれている聖地だった。

過去に政府がネイティブの居留地を認可したとき、当局はそれらの土地にウランや他の鉱物が埋蔵しているとは想像だにしていなかった。しかし、それらが明らかになった現在、政府は居留地に住む先住民をrelocation(強制移動)させる法律を企てている。7月ビッグマウンテイン・アヌメキャンプのサンダンス儀式に集まったネイティブの人たちは、この強制移動は民族撲滅と同じ意味があると言って抗議すべく、サンダンス後に小さな集会を開いた。その時にホピ族のスポークスマン、トーマス・バンニャッカ長老もrelocationnに反対するスピーチをした。私たちのグループは、たまたまそこに居合わせてそのスピーチを耳にすることになった。

バンニャッカ長老のスピーチ後、そばにいたネイティブの若者が私たちに近づいて来て言った。
「あんたたちは日本人だろう?日本の企業や電力会社がこの土地に投資して資源を利用しようとしていることを知っているのか?」

それを聞いた私たちは、ここにも日本企業が…と頭をうなだれた。直接的には日本企業や電力会社が、間接的には日本に住む私たち消費者が聖地の破壊に関与することになるのだろうか…。その集会に集まったネイティブの人たちは、このメッセージを日本の人たちに伝えてほしいと私たちに託した。

(*)ここでの現状とは、1993~94年にこの記事が当時のネットワークマガジン「フィリ」に投稿された時点の状況であることを留意ください。


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