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  • 橙。の気まぐれ近現代剣道二刀史、無責任考察。

    明治から現代にかけての、剣道に於ける二刀技法を、歴史的、社会的、技術的な面から、横断的に考察致します。剣道の二刀については、根拠不明の流言飛語が多いですが、それらが実在したのか、起源を典拠から探っていきます。

最近の記事

『撃剣』が指すのはどこからどこまで?

1.みんみんぜみ氏の問題提起X(旧Twitter)で武術史に興味がある方で知らない方はいないだろう碩学、みんみんぜみ氏がカクヨムで非常に面白い記事を公開された。  本記事をご高覧下さっている方は既に読了済とは思われるが、もし未読の方が居れば長い記事ではないので是非目を通して頂きたい。  私なりにこの記事の内容を梗概を纒めさせて貰えば、 『近代に於いて剣術~撃剣~剣道という単語は概ね同じものを指す言葉として使われてきたが、大正時代に「剣道」という正式呼称の設定で、流派性を持

    • 剣道では『肩への袈裟斬り』が打突部位とならなかった理由についての考察。

       きっかけは、「月刊秘伝」編集部@hiden_babさんの、ツイートを拝読したことでした。私は剣道史について勉強していますが、剣道がどのような技術史・思想史を経て現代の形へと成立したかという問題の中で、面技中心の技術観の成立に関わる歴史は極めて重いウェイトを占めており、先行研究も多数存在致します。そこで、この機会に自分のこれまでの剣道史についての勉強内容を私見も交じえながら要約してみたいと思います。素人の拙い要約ですが、ご興味のある方はご笑読下さい。 ①実際に肩首を打ち合っ

      • 『体験の哲学』感想文 ~これだからしろうとはダメだ!もっとよく見ろ!~

        『全部同じじゃないですか!?』  長らくジャンプの看板を務めた長寿漫画『こちら葛飾区亀有公園前発出所』の一項にある台詞だ。  中川がこの台詞を発した一頁は、今やコラージュの素材として広大のインターネットを駆け巡るミームと化している。  この言葉に、両津達はこう答える。 『ちがいますよーーっ』 『これだからしろうとはダメだ! もっとよく見ろ!』  この頁は、ある種の哲学的示唆を挟んでいる。  言語哲学者ソシュールは、「言語とは差異のシステムである」と語った。  体験の哲

        • 0.まえがき

          はじめに。  最近ネット上で二刀流に関する議論が活発になされているのを多く見かけます。その中で、剣道の二刀流に関する書き込みも多く見かけたのですが、 『二刀流は強いが、剣道ルールではその強みを十全に発揮できない』 『戦前に剣道で二刀流が流行したが、その強さ故に制限が課せられた』 『二刀流は剣道の正道ではないとされ、差別や弾圧が存在する』 『剣道での二刀流は、一刀を用いる剣道に接ぎ木された技法であり、歴史的に見ても成立が浅く練られていない』  など、印象論や典拠不明の書

        『撃剣』が指すのはどこからどこまで?

        • 剣道では『肩への袈裟斬り』が打突部位とならなかった理由についての考察。

        • 『体験の哲学』感想文 ~これだからしろうとはダメだ!もっとよく見ろ!~

        • 0.まえがき

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