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ジーゲン Siegen ドイツ/ノルトライン=ヴェストファーレン ~新旧教で真っ二つに割れた御家を象徴する「上の舘」と「下の舘」

※ 訪問記はかなり前、2003年10月時点の情報です。八十年戦争に関わる場所を訪れています。一般的な旅行記ではありませんのでご注意ください。

日本の年末の風物詩、ベートーヴェンの『第九』。第四楽章が「合唱」パート、その歌詞に頻繁に登場する「Siegen」は、とくに第七変奏の行進曲風テノールソロで目立ちます。「勝利」という非常に縁起の良い意味を持つ街ジーゲンですが、少なくとも17世紀においてはやや数奇な運命をたどっています。

ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン七世の本拠地。ヨーロッパ初の士官学校もここにありました。また、ペーテル=パウル・ルーベンス生誕の地でもあり、観光資源はそれなりにあると思うのですが、公式ページも観光にまったく熱心ではなく、現行のサイトでは居住者向けの情報ばかりです。(それでも過去のサイトの時は多少は観光情報も載っていました)。「大学都市」「ルーベンス都市」を名乗っている割にはその情報も無し。

2024年はジーゲン市政800年を記念して専用サイトを設け、イベント一覧もあります。しかし、こちらも同様に観光客向け情報はとくにありません。

17世紀のジーゲン

ナッサウ=ジーゲン伯はヨハン七世が子沢山だったおかげてたくさんいますが、その中でも重要な3名の記事を挙げておきます。

  • ヨハン七世: 父ヨハン六世からジーゲンを分割相続したナッサウ=ジーゲン伯始祖、『ナッサウ伯領防衛書』の著者でもある

  • ヨハン八世: 旧教に改宗し、父ヨハン七世亡き後、武力で領地を乗っ取り再宗教改革を進める

  • ヨハン=マウリッツ: 異母兄ヨハン八世の死後、その相続人たちと争いナッサウ=ジーゲン伯領を分割統治、再々宗教改革を進める


「上の館」と「下の館」

ナッサウ家の城は2つあって、こちらは高台にあるOberes Schlossのほう。管理人が訪れたのはコチラ。中は博物館になっており、眺めの良い庭園もあります。古く13世紀からあるようです。

ヨハン七世の死後、カトリックに改宗した次男のヤン八世が占拠してしまったため、カルヴァン派のほかの兄弟は、Unteren Schloss(1616年頃ヨハン七世が建設)に移り住みました。2013年よりジーゲン大学の一部が移転してきたので、観光地としては中に入れないかも。

この「Oberes」と「Unteren」は、単に海抜の高低差の違いを表すと思われるので、日本語では「上の館」「下の館」とでも訳すといいかと思います。

19世紀の絵で対比できます。


ジーゲン博物館 Siegerlandmuseum im Oberen Schloss

ジーゲン市のサイトはやる気ないですが、こちらのサイトはけっこうがんばってます。YouTubeも多少やってます。

かなり広く、数百年のうちに何度か建て増しもされたのか、テイストの違う建物の複合体のような感じです。

撮る位置によって違う建物のようにみえます。

所蔵品はルーベンスコレクションと、オランイェ家の肖像コレクション。

以前は内装なども当時の雰囲気のまま楽しめたのですが、この写真を見ると、現在は改装で通常の美術館ぽくなってしまったかも。


アクセス

Unteren Schlossは駅からすぐ。駅前の川を渡った向かいの辺りです。Oberes Schlossも、坂道ですが徒歩で10-15分程度。Oberes Schlossから少し南に、ルーベンスの生誕地もあるようです。駅から徒歩圏内に観光スポットがかなりコンパクトにまとまっています。

ジーゲンについてのもっと詳しい記事をnoteで見つけました。


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