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1300年前から続くお米を日本で唯一栽培する農家の想い

皆さんは「弥生紫やよいむらさき」という品種を知っていますか?実はこれ1300年前からあるお米の品種名なんです。そんな古くから続く伝統的なお米は、現在日本で唯一、徳島県の農家さんのみが栽培しています。
今回は弥生紫を栽培する農家・新居 義治にい よしはるさんに伝統米の魅力などを伺ってきました。

【プロフィール】
新居 義治にい よしはるさん|なかがわ野菊の里
徳島県阿南市出身。伝統米である「弥生紫やよいむらさき」や「徳ばん」の他に、国の重要無形民俗文化財に指定されている「阿波晩茶あわばんちゃ」も栽培している。

1300年前から変わらない味

新居さんが先祖代々栽培し続けているのは、弥生紫やよいむらさきという品種。奈良県平城京の献上黒米として約1300年の歴史と伝統を受け継ぐお米で、もちもちと柔らかく食べやすいのが特徴の黒米です。

「弥生紫は私が農業を始めるきっかけとなったお米なんです。実家は代々農家だったんですけど、継ぐつもりは無く、大学ではデザイン系を専攻していました。しかし、亡き祖父の後に後継ぎになった父が2,3年後に体を壊してしまい、母から泣きながら『戻ってきて欲しい』と連絡があり、実家に帰ってきました。父の代から、弥生紫は作っていたのですが、家族の誰もが弥生紫が1300年以上続く伝統米であるとは知らなかったんです。それどころか私は、誰でも作れるお米を一生涯かけて栽培することに対して躊躇する気持ちまでありました。しかし、あるテレビ取材を受け、その放送を見たとある大学の先生から連絡をもらったんです。そしたら何と『新居さんが栽培されている黒米は、もともとは奈良県平城京の献上黒米だった可能性が高いですよ。現在も作られているのは新居さんだけだと思います。これからも頑張って作ってください。』と言われ、その連絡をきっかけに『弥生紫なら他のお米農家と差別化でき、唯一無二のお米を作ることができる』と思い、後継ぎを決意しました。」

後を継ぐことを決意したものの、弥生紫の栽培は他の品種よりも難しいといいます。

「無農薬でお米を作ること自体、とても大変なんですけど、それ以外の点でも弥生紫を栽培するのは難しくて…。弥生紫は籾摺りもみすり(籾の籾殻を除いて玄米にする作業)すると粉になって出てくるんです。通常は籾摺りすると必ず玄米が出てくるのですが、弥生紫は米粉になって出てきます。機械メーカーの方も『こんなお米の品種は初めて見た』と驚くほど、稀です。そのため、機械を調整して使用してもなかなか難しくて。出来るだけ粒の状態で綺麗なまま販売できるように試行錯誤しています。それに台風が来ると収量が半分になります。品種改良しているお米は、病気や気候変化に強く、農家が栽培しやすいように開発されていますが、弥生紫は品種改良などを全くしていないため、品種改良されたお米よりも弱いんです。自然災害などにより、何度も栽培するのを止めたいと思いましたが、お客様からの要望があり、弥生紫を作り続けています。」

祖母に思い出のお米を食べて欲しくて

新居さんが作るお米は弥生紫だけではありません。「徳ばん」という、大正時代までは徳島県で主流であったお米も栽培しています。
しかし、徳ばんは栽培が難しく、繊細で機械化できない品種でした。手作業が主となるため、大量生産の時代の波にのまれて、現在栽培している農家はごくわずかとなっています。そんな徳ばんを新居さんが栽培するきっかけとなったのは、祖母の一言でした。

「当時92歳だった祖母から『元気なうちにもう一度幼少期の思い出の味である徳ばんを食べたい』と言われたことが徳ばんに興味を持ったきっかけでした。また祖母だけでなく、ご近所のお年寄りの方にどんなお米を食べたいか聞いた時にも『徳ばん』の名前があがったんです。皆が死ぬ前に食べたいというお米って、どんなお米だろうとますます興味がわき、早速自分でも栽培してみようと思ったのですが、育てるのが難しいから、まだ作り始めるのは早いという理由で父親から止められました。その後数年が経ち、父親からやっと許可がおりたんですけど、次は徳ばんの種が無くなってしまって。100年以上前のお米で、栽培している人もほとんどいなかったため、種の入手も難しく、種苗会社を探し回りました。結果、20gの種が見つかったのですが、それも他品種と混ざっている可能性があると言われて。いざその種で育ててみると、やはり他品種が混ざっていたので、そこから純正な種にするまでにも4~5年かかりました。」

長い年月をかけて新居さんが復活させた徳ばんは、1回の収穫の為に丸二年かかる栽培方法を採用するなど、こだわりを持って栽培されています。そんな徳ばんは、普段私たちが口にするお米の味とは違う特徴があるそう。

「皆さんがよく食べるお米は、食べた時にもっちりしていると思うんですけど、徳ばんはあっさりしていて、後から甘味が出てきます。コシヒカリを食べた時よりも血糖値の上昇が緩やかで、腹持ちも良いお米です。昔の人がお米を沢山食べられたり、糖尿病になりにくかったりした理由は、そういう特徴も関係していると言われています。また、面白いことに徳ばんを炊いたら、なぜか犬が寄ってくるんです。犬も徳ばんが好きなんでしょうか(笑)」

当初は思い出の味を復活させて、かつて徳ばんを食べていた人を喜ばせたいという想いから栽培を始めた新居さんでしたが、昔ながらのファンだけではなく、新しいファンも増えていると言います。

「徳ばん復活を願っていたお客様は、長年求めていた懐かしい味だったので、感極まっていた方もいました。祖母にも食べてもらうことができ、『あぁ!これこれ!この味よ。懐かしい味。待ち焦がれてたんよ。』と喜んでもらえました。またそのような層の方だけでなく、アレルギーがある方でも、このお米なら食べられると言ったお声をいただいたんです。そんなお声をいただいた時はとても嬉しかったですね。」

昔ながらの味を復活させるために、新居さんの並々ならぬ努力で復活することができた徳ばん。時代の流れ、経済の流れの中で消えていく伝統的な作物。そんな伝統を後世に継承していきたいという農家さんがいるからこそ、私たちは口にすることができています。

新居さんが伝統米を栽培する使命

最後に、なぜ栽培が困難と言われている伝統米を栽培し続けるのか、新居さんに理由を伺いました。

「就農当時、今後の日本農業はどんどん大規模化していくのではないかと予想していました。実際に今の農業業界はその通りになっていて、戦後は食文化そのものが変わり、お米もコシヒカリの様に大量に機械生産できて、もちもちした噛むとすぐに甘味や旨味がでるタイプの食品が求められるようになりました。しかし、あえて時代の流れに逆流し、小規模農家として、伝統を大事にし、技術の継承を貫いていきたいと思っていたんです。
弥生紫は籾摺りする上で機械を使うと粉々になってしまったり、徳ばんは稲穂を手で触るだけで簡単に落ちてしまったりするので、機械ではなく手作業で作業をする必要があり、機械生産することはできません。知名度的にも、生産効率的にも伝統米だけでは、生計が立てられないのが現状です。
そのためコシヒカリも栽培していますが、伝統米の栽培を止めるつもりはありません。それは、現役の農家さんがリタイアされた後、本当に美味しい作物や伝統的な食材などが消えていくという危惧があるからです。私は伝統的な食文化を後世でも残していくために、これからも伝統米を栽培し続けたいです。」

長年親しまれてきた伝統米の味を守るため、後世に継承していくために、手間暇かけることを惜しまず栽培を続ける新居さん。そこには「お客様に喜んで欲しい、本当に美味しいものを残していきたい」という熱い想いがありました。1300年も続くお米「弥生紫」、大正時代から徳島県で親しまれてきた味「徳ばん」一度は食べてみたいですね。