恋の二方通行

『誰でも出来ることを職人が自慢げに披露する。』

このような意味のないことは通常起こり得ない。
そんなの当たり前だ。
ではシチュエーションを変えてみよう。

『誰にでも幸せに出来るような人を幸せにする。』

これはどうだろうか。果たして意味のある事なのだろうか。

誰にでもできるのなら自分はやる必要はないはずだ。それでもその人を愛し幸せにしようとする人がいるのなら、それは一体何故なのだろう。


こんなことを考えてたのは数ヶ月前の僕。

この考えには少し余計なものが含まれている。

それは『承認欲』だ。

自分にしかこの子は幸せにできないからこそ、その子からしたら自分自身に価値が生まれる。

流石にここまで深くは考えていなかったが恋愛で承認欲を満たそうとしていたことは事実である。

しかし恋愛はそんなメルヘンなものでもなければオールマイティなものでもない。

恋愛で自分を幸せにしようとする行為は他力本願が過ぎると思う。
結局は自分を幸せにするのは自分自身だ。
頑張ってる自分が好き。
笑ってる自分が好き。
泣いている自分が好き。

そんな感じでいいんだと思う。

でもこれはある意味で人への諦めも含まれてるのではないかとも思う。

『気づいたぞ!自分を幸せにするのは自分だ!』ではなく
『結局は誰も自分を幸せにしてくれない。もう自分で幸せにするしかないや...』という考えの元で生まれたこの思考なのだとしたら、もしもこの先誰かに必要とされたり幸せを与えられた時どんな考えが頭に浮かぶのだろうか。

風呂敷を広げすぎてしまい言葉が四方八方に飛び散っている気がするが、恋愛は受け取るためにするものではなく与えるためにするものだと思う。一方通行でもお互いが送り合えば二方通行(?)でしょ!って言いたかったです!!!

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