おれこくー負け犬の希望になりたい負け犬

とりあえず自己紹介を。都内で一人暮らしを今月から始めたばかりの大学4年生です。4年生とはいえ、取得した単位は14かしかないので、これからまた数年かけて卒業まで漕ぎ着けたい人です。(大学院に行きたい)

なぜ4年間も大学に在籍していながら14単位取得という驚異的な数字を叩き出しているかというと、私は最近まで深い悲しみと憎しみに支配されていたからです。
うつ病だか適応障害だかはわかりませんが、ベッドで泣いていたら二日経っていた、みたいなことや、親の顔を見ると叫び散らす、みたいなことが日常的にあり、無気力な廃人のような日々を送っていました。

なぜこんな感じの日々だったか、その原因をここで明らかにすると再び苦しみそうなのでやめておきます笑

遡れば高校時代から数えて、7年ほど無駄に過ごしてきた感じがしますが、後半の2年くらいは褒められる点もあり、回復期だったと思います。

具体的には韓国語の習得と、自分の作品(刺繍作品、イラスト)の継続的な買い手を見つけられたことで、生活に秩序が生まれました。

韓国語の習得については、ここ10年の中で1番楽しかった留学の思い出と共に次回詳しく投稿しますが、きっかけはまさにそう、k-pop & 韓ドラです!
御多分にもれずBTS、愛の不時着に大ハマりしました笑

リアルに友達0、学校も通信制なので喋るのは親だけ状態の私は、繰り返しイヤホンで一日中NetflixやYouTubeを流しているうちに、日本語を聴いている時間よりも韓国語を聴いている時間の方が長い!ということに気づき、それならいっちょ本格的に勉強してみるか、と本屋さんでハングルのテキストを買いました。
その後、半年間の留学中にできた友達や恋人のおかげで今では日本語を話すようにスラスラと韓国語を話すことができるようになりました。
そして、留学中は午前中に授業があったため、早寝早起きして、いく場所、会う人たちがいて、同世代と毎日コミュニケーションをとる、という日々を数年ぶりにすることができたのも、回復へ大きく貢献しました。

続いての頑張ったことは笑、作品の買い手を見つけたことです。
私は刺繍作品を作っていますが、そのきっかけが以下です。(長いよ笑)
母が50歳の歳の母の日のプレゼントに何か心のこもったものを贈りたいと、プレゼントを自作することにしました。何を作るか考えた時に、ハンカチに刺繍するのいいかも、と思い立ち、ユザワヤで刺繍キットを探しました。ハンカチではなかったですが、可愛いポピーのお花の図柄のキットがあり、それにすることに。

すぐに完成するだろうと思い、母の日の前日に購入し、その日の昼に取り掛かりましたが、意外や意外、めちゃくちゃ時間のかかる作業でした刺繍は笑
どうしても次の日の朝に渡したかったため、当日の朝までずっとヨギボーに座り、BTSをエンドレスで流しながら刺繍をし続けました。

これがとっても楽しかったのです。お手本よりも緻密にやるぞ、と凝り性がしゃしゃり出て、布の織り目に合わせて、密度の高い刺繍を作りました。
母はとても喜んでくれましたし、何より、この集中している時間がたまらなく大切に思えたのです。

それからは自分で図案を作り、写真に見えるような、繊細で緻密な作品を作りました。
それをインスタグラムにあげると、反応が良く、それもとても嬉しかったのを覚えています。

そんなこんなで「これで生きていくぜ」なんて息巻いていると、昔バイトしていた古着屋のお客さんが刺繍事務所(機械でワッペンなどを作っている)の短期バイトを募集しているとインスタグラムで知りました。

ハイハイハーーイ!と手を挙げ、参加しました。そこは神南にある小さな工房だったのですが、近くに大きくてなかなクールな工房があるので見学に行こうとそのかたに誘われ、行ってみました。

外苑前にあるその工房は、清潔でモダンで、おしゃれな人たちがたくさん働いていました。そしてなんと、BTSのグッズなどもここで作られていたのです。

そこの社長は、大阪出身の楽しい人で、私の手刺繍に興味を持ってくれました。
手刺繍をプリントにして売ることができれば、「これは金になるで〜」と頼もしい言葉も笑。

その後は工場と取引のあるアーティストのポートレートを刺繍で作り、それを「参考資料」として買い取ってくれることが続き、大きな自信になりました。
工房内のミシンを練習するために、私が下絵を描いていると、「絵も描けるんや!」と、アパレルのイラスト制作の仕事も少しずつですが回してくれるようになりました。


、、、長々ただあったことをぶちまける形になってしまいましたが、ここ2年は何もしていなかったわけではない、と自分に言い聞かせながら書きました泣笑
(そしてこれは、これから人生ケツから捲っていく私が書く私のための記録なので笑、伝わってほしいことよりも、備忘録的になってしまう点、お許しを。)

そして、死ぬほど辛かった実家(都内)を出て、一人暮らしを始めました。イラストや刺繍だけの収入ではないものの、それほど辛くない仕事先(ベビーシッター)も見つけ、ようやく自分の人生を歩む準備ができた気がしました。

ここからは、現在、未来の私の話です。
もうやめようと思っていた大学ですが、今は勉強したいこと、研究したいテーマを見つけ、それを大学院で研究したく、卒業することを目標に頑張ることにしました。
私が今まで頑張れなかった原因を考え、それを一つずつ解決していくことで、目標達成に向かっていると実感しています。
家を出たのもその一つです。暴力的な家族と一緒に住むというのは、落ち着きや正常な判断の妨げとなります。
そして、もう一つの原因だった、「仲間も先生もいない」ということは、目下奔走中です笑。通信制の大学ですので、全て一人なんです。何もしなくても誰にも知られないのです。そして、朝起きて行くべき場所、やるべきことを全て自分で決めないといけないのです。それはやる気が限りなくゼロに近かった廃人時代の私には無理でした。

それらが私の人生を包んでいる悲しみの原因の大きな要素であると気づきました。
そして、このままではマジで未来がない、楽しい未来がない、という焦りも猛烈に襲ってきました。それはもうマジで焦り、結構自分に落胆したり、息が止まるほど悲観的になったりもしました。
歩きながら号泣するというトトロのメイちゃんの様を呈して洗濯に行ったりしていました笑

そして、今からがタイトルの回収ですが、私はこの一人暮らしの5.5畳の部屋を、私だけの国。と決めました。同級生が卒業するタイミングからまた一年生が始まる、みたいなことをするのは、精神的になかなかくるものがあります。ですが、この部屋の中は全て私のためのもの。時間も私のためのもの。比べるものはない。私が私の人生に集中するためのもの。と考え、「おれこく」と名付けました笑
(わたしこく、でないのはただの語呂の問題です笑)

全ての弱みはちょいと工夫し、考えを図々しくすれば、強みに変えることができるのです。
通信制という弱みは、学ぶのに年齢は関係ない。という強みに変わります。この学校では私は若い方なのです笑。
そして、廃人のように過ごしてきた7年(回復期を入れて)は、私の経験として、研究テーマ発見への入り口となりました。

これだけ人生の若くていい時期を棒に振ってきた人が「社会の役に立ちたい!」「同じように苦しい人を助けたい!」「あわよくば社会的に尊敬されて友達いっぱい欲しい!」みたいなことを考える様になれば、どうでしょう笑。負け犬たちに希望を与えられる負け犬になることができるのではないでしょうか!!(迫力)

note初めて書きましたが、とてもいいですね笑
楽しいですし、だいぶスッキリしました笑。

続けていきます笑

(大学生1年生向けのレポートの書き方の指南書を読んで襲ってきた劣等感を跳ね除けるように執筆)


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