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カオナシになった夜

 幼少期よりずっと「ヤクルト」が好きだ。
 
 スーパーへ行く母に買って来てと頼むも、いつも似たような乳酸菌飲料ばかり渡される。私は本物のヤクルトが飲みたいのに!
 こういう場合、仕方ないのでいとこの家に行く。いとこの家にはいつもヤクルトがあるし、なんなら「さけるチーズ」も食べ放題だ。同い年のいとこと子どもながらに限界までチーズを細かく裂く。苦労して細く裂いたチーズを一口、次にヤクルトをチビリと一口…あまりに美味しくて天にも昇る心地とはこのことかと実感していた。
 ところで、ヤクルトのあのアルミの蓋を全部剥がすいとこと異なり、私は蓋に爪で小さく穴を開ける。その穴からチビチビやるのが好きなのだ。時には爪楊枝で複数の穴を開け、シャワーみたいにして飲む。これがもう!たまらないのである。

 私がまだ教員として働いていた頃、生徒の下校後にヤクルトの販売員が職員室まで来ていた。どれにしようかなと悩んでも結局、いつもヤクルトを買ってしまう。給料日だとリッチにヤクルト1000を買って飲んでいた。—そう、マツコ・デラックスのおかげで一時入手困難になったあの1000である。退職後もたまにスーパーで買っては飲んでいた1000が、全く店頭に並ばなくなってしまった。近所のスーパーでは、ここのところようやく棚に再登場するようになったが、「1家族につき1本」と大きく書かれていて、満足できる量の確保には至らない。
 でも、1本だけ買っておいた。息子が寝たら、久々に小さく穴を開けてチビチビ楽しむために。

 息子が順調に寝た。ここから私のフリータイムである。にんまりと冷蔵を開けると、あるはずの1000が…ない…。
 1000!?
 1000!!
 どこだ、どこに行ったんだ、1000!
 1000を必死に探す私の姿は、まさしく『千と千尋の神隠し』に出てくるカオナシのそれだった。
 居間でゲームをしていた夫に1000の行方を尋ねてみたところ、寝る前に息子が飲んでいたという。
 息子よ…きみには業務スーパーで安い乳酸菌飲料を買っておいたではないか…。いつも美味しそうに飲んでいるではないか…。なぜ今日はそっちを選ばなかった?なぜ私の1000に手を出した?

 ここでようやく私は幼き日の母の気持ちを理解した。
 子どもには安い乳酸菌飲料で十分だよね、と。


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