真っ白な防潮堤から、思いを馳せて ー東北の旅2022 その3・双葉郡双葉町ー
ねむの花が咲く大熊町を通りすぎ、双葉町へと入りました。
福島第一原発が立地する双葉町は、11年前の原発事故のあと、町の全域に避難指示が出され、今もなおすべての住民の避難が続いています。(2020年7月17日現在)
JR双葉駅の近くを通ると、完成したばかりの双葉町役場がありました。駅周辺がきれい。
調べてみると、双葉町の帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が2022年8月30日午前0時に解除されるようです。また、現在いわき市に拠点を置いている町役場も、8月下旬に町内での業務を再開するとのこと。
震災から11年、復興や帰還への大きな一歩を踏み出そうとしているのだなあ。
◇
まっすぐな広い道路を海へと向かっていくと、次第に、草が生い茂る牧草地のような光景が広がってきました。
一帯はきれいに整地されて、道路をはさむように建設関係の事業所や社宅のような建物がぽつりぽつりとありました。それと、大きな倉庫にずらりと並んだ工事車両。
さらに海の方へ向かうと、大きな建物がふたつ見えました。
東日本大震災・原子力災害伝承館(2020年9月20日開館)
館内にはお子さんを連れたご家族や外国人観光客が、思っていたよりもたくさんいました。
大きなスクリーンで映像を見た後、らせん状のスロープを昇り展示室へと向かいます。スロープの壁には、震災以前から現在までの福島の様子が時系列にまとめられた年表が展示されていました。
展示室には、ぐにゃりと折れ曲がったガードレール、防護服、被災状況や救護状況が分刻みで記録された大きな張り紙。殴り書いた文字が、緊迫した様子を物語っていました。
また、最先端技術紹介として「空飛ぶクルマ」の展示など、復興に向けた福島県の取り組みも大きく紹介されていました。
正直な感想を書きます。
施設の展示は素晴らしく、地震、津波、原発事故の複合災害について考えさせられました。でも、わたしには車の中から見た町の景色が、一番印象的でした。斜めに傾いた電柱、商品がぐしゃぐしゃに倒れたままのショッピングセンター。今もなお立ち入ることのできない場所が、目の前にある現実。目に見えない放射線、被災された人々のことを思うと悲しくて、苦しくて。
◇
ひととおり見学したあとに、3階にある「海のテラス」へ行ってみました。
東側に、芝の広場と真っ白な防潮堤が見えました。
このあと、隣接する双葉町産業交流センターへ向かいました。
双葉町産業交流センター(2021年10月開館)
お土産屋さんで飲み物を購入し、エレベーターで屋上へ。
4階建の屋上は、さきほどより遠くまで見わたすことができました。
家に帰って調べたところ、ここ中野地区は、2020年に町内で最も早く避難指示が解除され、現在、復興産業拠点として双葉町が企業を誘致しているのだそうです。
「あっ、あそこ」
夫が指す方をみると、南側の山を越えた先に福島第一原発の大きな鉄塔が見えました。ここから原発まで5キロ。遠いですか、近いですか。
交流センターの入口には、シェアサイクルがありました。
利用料金は無料で、100円玉が返ってくるデポジットシステム。せっかくなので、自転車で近くをまわってみることにしました。
強い日差し。そして風がびゅうびゅう吹いています。
屋上から見えた真っ白な防潮堤にきました。高さは6メートルくらいで、とても緩やかな傾斜でした。
階段を登ってみます。
防潮堤の上部は広く、4メートルほどの幅がありました。そして、防潮堤の先にさらに防波堤が見えました。
少し歩くと、海が現れました。
遠浅のきれいな海岸線。
ああ、きっと田園風景が広がるのどかな町で、人々はたしかに暮らしていたのだ、夏休みにはたくさんの人が海水浴に来ていたのだろうな、とかつての町に思いを馳せました。
今月末には特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除され、11年ぶりに居住が可能となる双葉町。
ふるさとにようやく戻れるという気持ち
移り住んだ新しい地で築いてきた生活
子育ては? 仕事は?
戻る人、戻らない人、移住する人
町の人々が、どうか心穏やかに過ごせますようにと願ってやみません。
交流センターをあとにして、相馬市へと北上しました。
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本日はここまで。旅の足あとをゆっくりと残してゆきたいと思いますので、よろしければお付き合いくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
双葉町について
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