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トンネルのある風景を探す

SOMPO美術館『生誕100年 山下清展ー百年目の大回想』で、ある作品に心を奪われた。

それは自然豊かな風景を描いたペン画で、中央にはこんもりした山と、ふたつのトンネルと、線路がある。そばには海岸があり、人々が海水浴を楽しんでいた。B5サイズほどの作品は、山下清さんがまだ有名になる前、リュックサックひとつで放浪の旅をしていたころの風景のひとつだ。

見た瞬間、すぐにわかった。
今から67年前に描かれた作品ではあるが、その景色にはいまも名残がある。

わたしはこの場所を知っている。


一ヶ月後、祖母の一周忌に参列した。
法要を終え、父がお寺でもらってきた地元の歴史に関する冊子を読んでいると、最後のページで手が止まった。

美術館で見た、あのトンネルの絵がちいさく載っていた。ただそれはペン画ではなく、山下清さんならではの色鮮やかな貼絵だったけれど。

同じ絵に、二度も出会うとは。
なにかに誘われているような気がして、わたしはその日の夕方、トンネルのある風景を探しに行くことにした。

倉庫から自転車を引っ張り出し、タイヤに空気を入れる。「○○の近くだろうね。」と絵を見ながら母は言った。

車通りの少ない道を選んでくねくねと走る。細いアップダウンを進むと、港へ出て、干物のかおりがして、国道へ出た。

びゅんびゅん吹く走行車の風を受けながら、せまい歩道を進んでゆく。子どもの頃、近所の家族と一緒に歩いた道。水着のまま、ビーチサンダルを鳴らして歩いた道。

景色のよい海岸沿いをまっすぐ進むと、モデルになったであろう地点に到着した。

しかしながら、どうしてもトンネルと海を一緒に見ることができない。
線路と国道の間には民宿が立ち並び、今いる場所からはトンネルはおろか、山すら見えなかった。しかも、建物の一棟は真っ黒に焼け落ちて、一面に焦げたにおいが漂っている。もし今ここでカメラを向けたら、ただの野次馬になるだろう。
おまけに、海は海で、真白な防潮堤に覆われている。

トンネルのある風景は見つからなかった。


せめて海岸の景色だけでも。
重たい自転車を抱えながら、細く急な階段を下り、砂浜へ向かう。

日差しが和らいだ夕暮れどき。夏休みが始まったというのに、砂浜には釣り人と、5人ほどのグループと、海の家がひとつだけだった。パラソルが所狭しと並んでいたあの頃と違い、ほんとうに静かなビーチだ。

波打ち際を一歩ずつ進むたび、きゅっと砂がしまる。
海を眺めていたら、不意に記憶が押し寄せた。

日傘を差して手を振る母のこと
波打ち際でまだちいさかった弟を泣かせてしまったこと
弟と乗っていたボートが波でひっくり返ったこと
海のなかは太陽の光できらきらしていたこと
顔を出したらすぐそばで父が笑っていたこと

ぬるまったい潮風は思い出をつれて、そっと頰を撫でる。

山下清さんは放浪の旅に出ていたころ、道に迷わないように、線路の上を歩いていたそうだ。

山下清『トンネルのある風景』1949年
小峰隆次『飛田周山等の歴史に関する研究』より一部引用

『トンネルのある風景』もきっと線路の上から見たにちがいない。
どうりで探すのが難しいわけだ。


おなじ方角から撮影したもの

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