見出し画像

祖父の遺志 _『リファ』#21【小説】

 隔世遺伝である。そう、ほとんど盲信しているところがある。ここについて直接話したことはないが兄もきっとそう。兄が早々に会社を辞めて起業したのも、祖父の影響だと踏んでいる。

 それは実際には知らない、祖父の歩んだ野心的な人生への畏敬の念からきていた。

 一九二〇年に韓国の慶尚南道に生まれ、小学校まで育った。祖父が生まれた時には、朝鮮は日本の統治下だった。日本の外地で、日本語を教わり、日本語を使っていた。

 早くに両親を亡くし貧しかった祖父は、十代前半で単身で海を渡る。中等教育は、神戸で受ける。丁稚として工場で働いていたときに祖母とお見合いをして、京都で暮らすようになった。

 工場での丁稚奉公から通信社で記者まで、いくつかの職を経て、染色加工会社を祖父自身が興す。ちなみに、私が遺伝を意識するのは記者職を経ているところもだ。

 話が逸れた。祖父の会社は、母が生まれた時には従業員が二十名ほどいる企業に成長し、家には家政婦もいたそうだ。祖父の経済力のお陰で、母は幼稚園から大学まで私立に通う裕福な家庭で育った。

 成人した母は、五人兄弟の三男で会社員だった父と結婚する。祖父としては、父と伯父は共に会社の役員になり、継がせる算段があった。

 ところが、取引先の倒産を発端に、拡大路線を続けてきた会社は負債を抱えるようになる。経営は悪化し、私が三歳のときに倒産した。私が生まれて数年間暮らした家には、美しく切り揃えられた立派な松の樹と鯉の泳ぐ池があった。アルバム写真はある日を境に、見るからに手狭な団地の一室になる。

 祖父は、わが子たちに建てた家を債務返済のために奪ったと、詫びていたことを思い出す。お酒を飲むと祖父は繰り返した。申し訳なさそうだったが、最終的に借金も遺産も残さなかった。

 母は「自分の身で興して、自分で潰して、従業員には働き口を用意して、家族や親族に大して迷惑かけてもいない。遺産がないから親族でけんかもない。気持ちええ人生なんちゃう? もともとの私の生活が、恵まれすぎていた」と、祖父を責めるどころか感謝していた。

 私も同意する。移民一世として単身で海を渡り、丁稚から成り上がり、あるところまでは家族を富ませていたのだから。

 祖父の人生としてはゼロで還ったのも、粋に思う。

 墓石とその周辺のそうじを終えて、母と並んで線香を上げる。線香から出る細い煙が、空に立ち昇っていく。

 「じいちゃんが、この場所にこだわってお墓にした理由、お母さんは知ってる?」

 聞いた。かつて祖父が、少年のように破顔しながら教えてくれた記憶も、蘇る。

 「この高台からの見晴らしが、気に入ったのやろう?」

 「それだけと違うねん」

 「そうなん?」

 母は知らないようだった。

 私たちが立つ墓地からは、ミニチュアのような街が見下ろせる。北北西の位置には伏見桃山があり、緑が集まった広大な森の存在が目視できる。

 「ほら、お母さん見える? 伏見桃山陵」

 指をさして、母を誘った。母が目を細めて、私の指の先に視線を向ける。

 「ほんまや。はっきりと見えるわ」

 「明治天皇陵。ここから見下ろせる。天皇を見下ろして、天皇より高いところで寝るんや。じいちゃんが話してくれた」

 知ってはいけない秘密を聞いてしまったような、そんなことを言って大丈夫なのか。当時よぎった戸惑いも戻ってきた。母は痛快そうに、大笑いした。

「知らんかったわ。なるほどな。じいちゃんが考えそうなことやわ」

「やっぱり、大日本帝国に恨みはあったんやろうな。天皇陛下を見下ろしたるって、右翼が聞きつけたらただじゃ済まん気がして、ぎょっとした」

 明治天皇は、日本を近代国家に導く役割を果たした君主だ。明治新政府、近代国家日本の指導者として、植民帝国へと膨張させる政策を採用した象徴である。その存在が眠る場所を見下ろす場所に、自身の墓を建てた。

 移民一世として苦労を重ねたこと。韓国人の自分は、天皇にとって国民の範疇に含まれなかったこと。それらへの反骨精神の現れであり、亡くなってもなお果たしたい反撃だった。 

「お母さんはそうは思わない。恨みじゃないんとちがう?」

 口角をあげて、上下の白い歯をむき出しにして破顔する母と、祖父の面影が重なった。

 「植民地支配は遺恨を残す。よくない。じいちゃんはそう言ってたけど、朝鮮半島も、韓国も 日本のことも愛していたよ。執着してない。それに明治天皇本人は侵略戦争に反対しながらも、立場上どうしようもなかった。それを嘆くような和歌が残ってもいるからさ。恨むなら、明治天皇はお門違いなんとちがう? 」

 「お門違い……?」

 私は、まばたきが止まるほどの顔をしていたと思う。

 「明治以降に確立された天皇制は、あの時代の日本人には特に、絶大なる権力としてあった。ひどい敗戦の現実を経てもなお、ね。じいちゃんは、そんな神のような存在をも超えた、自分を得ていたんじゃないかな」

 母の解釈に、目を見張る。

 ずっと、祖父がこの地を選んだのは何かしらの反抗だと考えていた。

 ただ、そうだとしたら、私に打ち明けてくれた時に向けたあの、一切の曇りがない笑顔とのつじつまが合わない気もしていた。

 祖父は、絶対的権力をもった天皇という威光を超越して、自我を獲得することができていた。

 だから。だから、ここを訪れる子孫もそうあれるように、この地に決めたのではないか。ここに眠ることで、受け渡そうとしてくれたのではないか。

 墓に刻まれた祖父の名前「呉 沂奐」を見つめる。祖父と祖母は、韓国人のままで日本に生きた。もう一度、手を合わせた。

 長年の謎が、解けた気がした。目頭に熱を感じる。

 「ほんとうに、ここは気持ちええ場所よなぁ。来るたびに、心がぱあって晴れていく」

 母は両腕を天に掲げて、伸びをしながら言った。その腕の先を私も見つめる。澄んだコバルトブルーに、大きなザトウクジラが泳いでいる。クジラにとっては領海なんてない海を、縦横無尽に泳ぎ回れそうなたくましい雲だ。

 「私たちは帰化したほうがいいと強く勧めたのは、じいちゃんやった。国籍を変えることなんかで、自分の何も失われないと確信を持ててたのよ。大きなものに帰属してるなんて感覚を、超えていた」

 私は黙って、うなづく。死者の思いを受け止め、その声を聞くことができたような手応えがあった。私たちとは、まだまだこの地に生きる母と私や、私の息子たちも含まれる。慕情のようなものも湧き上がった。

 叶うなら、今のこの私として、祖父と話がしたい。祖父に会いたい。

 「じいちゃんはやっぱり、かっこええな」

 「そう?」

 そっけない返事と裏腹に、母の口元は緩んでいる。まんざらでもなさそうだ。

 「うん、最高や。また好きになった」

 「お母さんも誇らしいわ。娘が父親をそう言うのは。ありがと」

 こんなふうに、素直にありがとうと言う人だったっけ? 違和感が通る。

 意外性もほんとうにになり得るコミュニケーションは、生きている者同士であればこそだ。離れて過ごして、歳を重ねて、娘のままでありながら私は母と、てらいなく交わせる部分が増えた。

 「お母さんとお父さんとしてはさぁ」

 おっとりと母は言う。次の言葉を待つ。

 「自分が味わった不毛さを、子どもたちに引き継ぎたくなかった。国籍を理由に、制限や不当な扱いをされることを、取り除いておいてやりたかった」

 昨日の話の続きだった。

  「子どもを想って親として用意したことが逆に、子ども自身が自分で折り合いをつける機会を奪っていたとはなぁ」

 母は、母自身に説明するようにつぶやいた。

 私だって、本当は知っていた。祖父も母も父も、子孫が生きていくために、生きやすくするために、その枷を取っ払ってくれようとした。

 大切な気づきは、いつも随分遅れてやってくる。

 「お父さんの病院に、着替えを渡しにいこ」

 私は、バケツに残った水を周辺に撒いた。水しぶきがきらきらと輝く。スキップするように駐車場に向かって走った。



つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?