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本当にしたいことで生きたいと願う

浅いのか深いのかわからない海、浮かぶ色鮮やかな草花。無常の煌めき。
私という物語は約四半世紀前からもう既に始まっているのに。

この記事を書いて投稿しようとずっと思っていたのに。随分と時間が経ってしまった。


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私「inori」についてと、最近の私が考えていることについて話しておこうと思う。今日は2020年の聖なる夜だ。

私は今年2020年の3月に大学を卒業した、社会人一年目。
その辺りにどこにでもいる、普通の23歳だ。


悲しいことに、何かたいした特技があるわけでもない。
好きなことといえば、ハンドメイドに映画に音楽、ファッション、わりと多趣味だ。
それらの好きなことで何かができないだろうかと、会社から帰った僅かな時間や休日に模索している最中でもある。

大学まで実家から通える場所に通い、就職を機に広い世界を知りたくて、出られるのはもう今しかないと思い、県外へと出た。それも田舎の中小企業へ就職した。
知らない世界に行って環境を変えれば、自分は誰も知らないどこかの誰かになれるという淡い期待もあった。

そんなこんなで今は初めての一人暮らしをしている。
始めた当初は親や家族から離れて、何でも自分の意思で自由にできることにとてもワクワクしていた
実際に好きなインテリアに囲まれて、AmazonプライムやSpotifyにも入ったことで家事をしながらでも、自分の好きな趣味に囲まれて一人の時間を満喫できるようになった。

部屋のお気に入りの場所

実家にいた時よりもダラダラしなくなったし、自分と向き合う時間は取りやすくなった。
とにかく社会人になって半年くらいまでは充実していた。
でも、だんだんと料理に洗濯に掃除といった家事がとてもめんどくさく感じてきているのが悩みでもある。

会社から帰ってきたら、家事をして、日々の生活に終われて自分のしたいことをする時間は限られてしまう。

そんなふうに今、ちょっと疲れてきたころだ。
ベッドに入る頃にはもうくたくたなのだ。
いまもこうしてベッドの中で文章をつらつらと書いている。

だけど一人暮らしをすることで得たことも沢山ある。
自炊したり、家事を効率よく済ます方法だったり、新しい人間関係の中での日々の学びであったり、限られたお給料の中で節約して貯金する方法だったり。
その中でも、大好きな人と過ごす時間がいかに大切であるかがわかった。


一人暮らしだけが理由でなく、一人の時間が必然的多くなるご時世的な問題という理由だが、自分と向き合う時間が沢山とれることにより「自分にとって本当に大切なこと」の輪郭がだんだんと浮き彫りになってきている。

学生だった私にとって、当時は就活する上で一番大切にしていたのが、自分のしたい仕事であるかということだった。
おまけに好きな仕事ができるのなら、住む場所は問わないという感じだった。会社のある、全く知らない県外の田舎へと引っ越すのも何の躊躇いもなかった。

自分はしたい仕事さえできれば、それ以外どうでもいいと考えていた。確かに大好きな人もいるが、それならば月に一回ほど高速バスと電車を使って四時間かけて頻繁に地元に帰れば良いやと思っていた。

だが、このように気軽に出掛けられない時代に急に世の中が一変すると、気軽に会えなくなった。
大好きな祖父母や友達に会えないことが辛い。
特に祖父母には、あと生きているうちに何回会って、何度言葉を交わせるだろうか。会うたびに祖父母は喜んでくれる。
とにかく私を無条件に愛してくれる。私の心の拠り所だ。
そんなことを考えると、余計に会えないのが悲しい。

電話やLINEでもコミュニケーションはとれるが、やはり実際に会うことにはかなわない。
そこには目線や表情、声のトーン、身振り手振りなどの非言語コミュニケーションが含まれ、私たちはその言葉にできないものを含んだ上で、相手とコミュニケーションをとっている。

すこし話がそれるが、映画は非言語コミュニケーションを読み取る練習にもなるなと思う。
登場人物の心情が事細かく、表情や声のトーン、身振りで描写されているからだ。
最近見た映画でわたしの心を強く震わせたのは「ラマン(1992)」や「戦場のメリークリスマス」。そこには本質的な愛と人間の脆さと儚さが描かれていた。名作はやはり時代が変わろうとも観る人の心を打つものがある。

またその映画の感想も、noteに投稿しようと思う。

これからの時代は、仕事に縛られることなく、
好きな場所で好きな人と暮らしながら好きな仕事をするべきではないだろうか。

少なくとも私はそうして生きていきたい。
人は変わり続けるし、永遠にこの地上にいるわけではない、一瞬一瞬が光を受けて揺らめく水面のように貴重な瞬間なのだ。もう二度と戻ってくることのない「とき」である。


大好きな人や物に囲まれて生活することは、地上に生きる人間にとっての究極の幸せではないか。

私たちは幸せになるためにこの世に生を受けたはずではないだろうか。
それなのに、社会ではこうあるべきという常識や、こうせねばとういう考えに囚われて、正しくはそうやって教育されてきて、自分を押さえつけて社会に適合しようと必死になってはいないか?

そんな酸素の薄い山頂にいるような、息のしづらい生き方のままで、幸せか?


仕事については、実は中学生の頃から夢見ていた、アパレル業界で働くという願いを一応は叶えている。
入社当初、店頭に立つか、通信販売の部署で働くか選べた。そして私は文章でお客様に服の素晴らしさや楽しさを伝えられるこの仕事を選んだ。
今はネット通販の商品ページ作成を主に行っている。
毎日大好きな洋服たちに触れ、そのモノたちについて文章を考えてエクセルに打ち込んでいく。商品画像をPhotoshopを用いて編集をしていく。商品ページのバナーをつくり、そのデザインを考えたりもしている。

充実感はないわけではない。

しかし最近なんだろう、この心がぽっかりと脱け殻になったかのような寂しさと、妙な焦りをじわじわと感じている。デザインすること、商品の文章を書くことは嫌いではないが、本当に自分がこれからも伸ばしていきたいスキルなんだろうか?いや、違うような気もする。


いつからこんなことになったんだろう。

小学生の頃から、周りの子達がおしゃれに興味を持っていて、自分もあの子みたいにイケてる子になりたくて、周りの子が好きなものとは違っていても、自分がこれだ!好き!と思った服や小物を手に取っていた。

今考えると、それが自分の自己表現の一種で、自分というものを認識するためのツールだったんだと思う。私は自分を探していたのだ。

中学生になる頃には、自分で服をつくりたい、将来は服に関わる仕事がしたいと思っていた。

だが、ここで壁が私を待ち構えていた。

両親は服飾を専門的に学べる高校への進学を猛反対したのだ。
なぜなら、高校在学中に夢が変わったら他に進む道がないだろうと。潰しがきかないだろうと。その時は、両親の意見に妙に納得して、普通科の高校に進学をすることに決めた。でもそれは本当にそれでよかったのか?視野が広がり、当時よりも大人になった今、言えることがある。それは目標が変われど、達成できるかどうかは全て自分次第であると。

高校生になっても服飾を学びたいという気持ちは尽きず、服飾が学べる短期大学への進学を夢見ていた。
両親も私の熱意に押され、服飾について学ぶことに前向きに応援してくれ始めていたように思う。

しかし次に立ちはだかった壁はなんと、自分自身であった。


実はセンスの良い感じのモノが好きなだけではないか?
本当に服を作り、新しいものを生み出したいと思っているのか?
既存のモノを繋ぎ合わせただけのものしか自分は作れないのではないか。オープンキャンパスで見たような、こんな風に斬新なもの、産み出せない。

自分の中で、何かが崩れる音がした。

ああ、私は何かを「生み出す」することには向いてないのではないか。他にもっと向き合わなければならないことがあるのではないだろえか。
その時の違和感で、自分で見切りを付けてしまったのだ。

まだ視野も狭く、当時は服を作るには特別なクリエイティブさが必要だと考えていた。
しかし私は重要なことに気づいてなかった。
生み出すことは全てが1からではなく、自分というフィルターを通して、今まで見てきたもの達を組み合わせて構築していく作業も実は「生み出すこと」だったりする。

それが自分で作り出した「壁」であった。
なぜそんな壁を生み出してしまったのだろうか。

そこから大学時代はずっと自分と向き合うことを避けて、目の前の課題や、一時の楽しさに身を委ねて過ごした。服飾の専門学校のダブルスクールも一瞬頭をよぎったが、地方都市の専門学校ではあまり意味がないのではとも思い行動には移さずにいた。「徐々にこの気持ちも薄らいでいくだろう」とも思っていた。

大学時代、バイト先の店長にこの話をした。そこで言われたのは、本当にしたいことだったら両親の反対を押しきってまで無理矢理にでもその道に進むと。進まなかったのはそこまでの意思が私には無かったからだと。

言われた時は納得した。図星で当時は相当ショックだった。それは今考えると当たり前のことを言っているに過ぎない。
でも私は逆にその道を選んでよかったと思う。
何故なら、自分の本当にしたいことを知るには親からの精神的な自立と、自分と向き合うことが必須だからである。そして自分が自分の親になることができれば、自分のしたいことに一直線に向かうことの基盤は完成するのだ。


神様が行きたかった道にスムーズに進むよりも、すこし遠回りしてその自分の使命を果たす方が私には良いと考えたから、自分で壁を作るような方向に働いたのではないだろうかということだ。
あえて遠回りさせることは、喜びと得られる経験を沢山与えてくれる。


神様?何を言っているんだ。

と思うかもしれないが、一人一人の心の中に、それは想いだったり、愛だったり、その時々で形を変えて私たちの前でも顔を覗かせる。
それは祈ることで、より確実に、より影響力を持って、微笑んでくれる。
「inori」という名前を使ってこうして綴っているのは、今生きているなかで、例え苦しいことがあってもそれも含め喜びであることを認識させるための、自分への戒めであったりもする。考え方が宗教的すぎるだろうか?

人生は不思議なもので、偶然と必然を行ったり来たりしながら、形作られる。

私が人生において何か素晴らしいものを得るのは、どうやらもう少し先の話みたいだ。

今はスマホが誕生してきた15年ほど前と比べ、インターネットを介して様々なプラットフォームができている。
したいことをするハードルは何倍も下がっている。
つまり、昔はこちらに進んだらこうなるとある程度決まっていたが、それはもう過去の話で、今はまるでパラレルワールドに瞬間移動するように、唐突にチャンスが目の前に現れるのだ。
それを使うか使わないかで自分のしたいことに近づけるか否かの分かれ道になる。

そういう世界ならば、もう、したいことをするために動くしか無いだろう。

今日が、今が、人生で最も若い時だということを忘れてはいないだろうか。

そう、人生は短い。
したいことを全てするには短すぎるのだ。

したくないことをする時間なんて全くもって無いのだ。

嫌な人とは極力会いたくないし、嫌なことも極力したくない。これまでは、実は嫌いと思う人でも、嫌ってはダメだと考えたり、そのことについて疑問さえも抱かなかった。

嫌いな人と会わなくてもいい状況になったお陰で、嫌いな人とは無理に合わなくても良い、自分が好きな人と合えば良いという、こんな大切なことに気づけている。

やっぱり大好きな祖父母や両親、妹や友達に囲まれて生きていたい、生活したい。それも今の願いである。

大好きな人に囲まれて生活しながら、したいことをして生きることができれば、本望だ。

今、これからは目に見えるものではなく、もっと精神的な目に見えない世界をフォーカスすべきだ。もっと自分の考えや好きなものを発信していこう。もっと自分の好きなことのために行動しよう。

私にとっては好きな物を通して「自己表現すること」が生き甲斐なのだ。実際にハンドメイドが好きだし、文章を書くのも、(センスの有無は抜いて)嫌いではない。小学生の頃は俳優という仕事にも興味があった。図工の時間が一番自分が生きていると感じていた。

自分を表現すれば類は友を呼び、大好きな人たちと巡り会える機会も増えていくはずだ。

そんなこんなで私は今、したいことがあるのに日々の生活に、時間に追われてできないという葛藤の渦中にいる。
今は始まりにすぎない。

私の人生という映画の監督は「私自身」ということを忘れないように。自分に言い聞かせる。


知らない間に、ものすごい文字数をここに打っていた。

ここまで読んでくれたあなたに、何か得て、感じてもらえたものがあったならば、私はそれだけで生きていて良かったと思えるだろう。

もしあったとしたら、そのことについてどうか教えてもらえると嬉しい。

日々を綴り、人生を模索していきたい。


2022.2.22 追記

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