過剰なルッキズムについて
ルッキズムが年々過剰になっている気がする。
故に、自分を愛せる精神性の高さが今の時代はとても大切になってきていると思うなと。
終わりのない美的競争社会に終止符を
自分も過去に(プチ)整形経験あるし、これから更に整形や美容治療も検討している。
だからこそ思うが、ルッキズムに囚われすぎると、人生が息苦しくなるので、自分の外見を受け入れることも必要なのではないかと。
大前提として、俺は美容整形に関しては肯定派だ。
それで、やった本人が満足できるんであれば、やる価値は大いにあると思う。
だけども、過剰なルッキズムを気にするあまり、醜形恐怖症に陥ると、どれだけ美容整形しても幸せとは程遠い人生になるだろうとも思う。
整形って本当に必要なのか
根本的な話になるけど、自分の容姿に満足できる精神性の高さがあれば、整形は本来する必要ない
よね。
だけど、今はスマホで簡単に写真を撮れる時代になったし、SNSで誰もが加工して盛った顔や外見を投稿、共有する時代になった。
可愛い、イケメンばかりが画面の向こう側には映っているし誰もが自分の盛った姿を人前に晒す。
故に、その人たちと現実世界の自分の容姿を比較するようになりやすくなっているのかもなって。
それが結果的に誰かと自分の容姿を比較したり、美的な競争心を煽られやすくなるのも無理はないと思う。
だからこそ思うけど、この世に鏡や写真なんてなければ、自分の外見で悩む人はきっとグッと減るんだろうな。
若者が生きやすくなるには
若者を始めとした全ての人が自分の容姿で悩まなくなれば、本来生まれ持った肉体にも対して不満を抱くことなく、自分らしく明るい人生を歩みやすくなるだろう。
俺は外見が人に与える影響は限りなく大きいとは思うけど、それもなんだかんだいって出会った瞬間がピークの話やないかい。
深い付き合いになればなるほど、同性でも異性でも人として魅力に感じる瞬間は、外見ではない。
飾らないで自分らしく明るく楽しんでる姿だったり、何かに没頭していたり、弱いものに対する思いやりの心だったり。
見た目は、内面の1番の外側なんて言われたりするけど、もっと奥の内面的な魅力で惹かれる。
だから、外見で悩み続ける時間はいつ死ぬかわからない人生だからこそ、勿体ないような気もするんよな。
自分の肉体を受け入れる寛容さ
こんな過剰なルッキズムがもてはやされている時代だからこそ、どこかで自分の外見を受け入れて、共に楽しい人生を歩むパートナーと思える寛容さも必要なのではないか。
とはいっても、誰しも一つや二つのコンプレックスは抱えていたりする。
だから、美容整形も最初から自己満の世界だって割り切ってやる分にはやる価値はあると思う。
お金で解決できる悩みなら尚更で、とっとと若いうちにコンプレックスを解消して、残りの多くの時間を自分らしく伸び伸び過ごしたほうがいい。
美容整形もある種のビジネスだから、こんなルッキズム的な思考が蔓延していることで商売が成り立つのだ。
だけど、本来うまれもった容姿に優劣なんかはないはず。
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