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ミクロ経済学=価値史観


これまで、ミクロ経済学は価値の移動・交換を観察する「物質的価値論学」と述べました。
価値は貨幣価値へと交換することができるわけですが、歴史を紐解くと、その貨幣化できる価値は時代ごとにその重心が変わってきているのが分かります。
今回は、歴史的場面ごとの「貨幣化できる価値説」について説明します。

■重商主義(コルベティズム)

フランス革命より前、ルイ14世のフランスにおいてフランスは当時の世界最高の経済大国となっていました。その時行われていた政策は、コルベール財務総監の下行われていた「重商主義」と呼ばれるものです。
これには3つの特徴があります。

  1. 重金主義:金貨・銀貨という貨幣価値を大切にし、それを政府が率先して集金する政策

  2. 貿易差益主義:フランスで生産する商品を他国で高く売り、その差額価値を金貨・銀貨という貨幣価値で得る、という政策

  3. デフレ政策:その貿易差額を増大するために、労働者(農家)を不当に安く働かせる政策

以上は、金貨・銀貨を大切にする重金価値説であり、同時に貿易差益価値説と表現できるでしょう。

■重農主義(フィジオクラシー)

重商主義は、貿易差益価値を得るためにデフレを促進し、結果として農村の貧困が壊滅的に広がりました。
そこで、フランソワ・ケネー、という農村出身の人物が農村の貧困を救うために「農民・農業労働力・農産物」こそが価値を生み出す、彼らの生産する農業的価値こそ、循環して国富となるのだ、という説を唱えました。
これは「農業労働価値説」と言えるでしょう。
因みに、この説を提唱すると同時に、ケネーは不当な農業労働力評価を高めようとして自由化を推し進める論を提唱しました。
しかしケネーの自由化路線は更なる農民の貧困を生み失敗します。

■労働価値説

このケネーの登場の少し前、イギリスにおいてウィリアム・ペティという人物が「労働価値説」を唱え、労働者が生産する商品(使用価値の高い商品)こそが、価値なのでは?という説を唱えました。
フランスでケネーと交流をしたアダム・スミスはペティの考えと、ケネーの考えを両方取り入れ、「あらゆる労働者の生産する商品、そしてその商品を生産する労働力には価値がある」と考え今日に至る総合的な意味での「労働価値説」を前提としました。
ケネーは農業に特化した労働価値説でしたが、アダム・スミスは「使用価値にはその身分に適した差のある使用価値がある」と考えて農業に限らず、あらゆる労働生産が「価値」と見做されたわけです。

■限界効用価値説

上記の労働価値を資本家が不当に評価することで、労働者が搾取されている、というのがマルクスの理論です。
これに対して、「いや、労働者(消費者)側にも価値決定権がある」という反論が「限界効用理論」となります。
これは、需要と供給の需要側にも供給に影響できる、という説です。
例えば、目の前にコーヒーがあるとします。
1杯500円します。
これを飲んで「ああ、美味しかった!また飲みたいな!」という感想を得たとします。
この1杯目の満足度(効用)を100点とします。
 ↓
さて、2杯目を飲んだとします。
「美味しかった」ということで今度は70点の満足度(効用)を示します。
 ↓
さて、3杯目を飲みたいと思うでしょうか?500円を払って?
その時、消費者は「高すぎる!」と判断をするでしょう。
しかし、もし3杯目でもお値段100円なら、購入するかもしれません。

以上のような“商品価値が消費者の欲求によって変動すること”を“ゴッセンの第1の法則”、或いは “限界効用逓減の法則”と言います。

この理論によって、需要者にも価値決定権があることを示されました。これが限界効用価値説と言えます。

■まとめ:何と貨幣と交換できる価値として据えるか?

重金
貿易差益
(農業)労働価値説
限界効用価値説

何と貨幣と交換できる価値として据えるか?により、様々に「価値説」があるわけです。
因みに、経済主体Aと経済主体Bが交換できる価値である以上、それは前章内においても述べているように、物質的価値論であるため、商品貨幣論となります。

上記で上げた全ての価値説は「物質的」であり、で、ある以上「ミクロ経済学」的です。
「価値論」は総じて「ミクロ経済学」なのです。


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