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ミクロ経済学=物質的経済学とは


■それは観察できる物質であることが望ましい

ミクロ経済学とは、経済主体が取引や交換を行い、価値を交換する関係を分析する学問です。
具体的には、あなたがお店で買物をするという状況を考えてみてください。あなたは貨幣という価値を払い、商品という価値を購入する。ミクロ経済学は、このときの貨幣や商品の価値の流れや、その価値の市場における偏りを分析する学問です。

上記を分析する、という事は、つまり

ミクロ経済学は「極めて物質的な視点を重視」するという事が分かるかるかと思います。
「観察可能な物質的な事象」
を基に分析を行うからです。
逆説的にそれは「目に見えない抽象的な概念」は基本的に観察の対象外となることを示します。

しかし、そういうと一部からは反論が来るでしょう。
「ミクロ経済学においても『概念』は無視していない」、と。

■ミクロ経済学の概念理解は結局物質的である

確かに、無視はしていません。
例えば、ワルラスの「限界効用逓減の法則」や「一般均衡理論」は完全に概念のみなわけではありませんが概念的な要素を含んだ理論です。

ただ、これらの概念は直接観察される物質なわけではありません。物質的な現象、価値の移動を通じて間接的に理解されるものです。疑似的に物質を想定し、その物質の動きを見て概念を理解しようとしているのです。

つまり、「ミクロ経済学においても『概念』の理解」は「物質的」であることは「必要条件」だという事です。

■ミクロ経済学=「物質的経済学」と言って差し支えない

更に言えば概念を物質として受け入れて理解するということも可能です。

例えば、「商品」を思い浮かべてみましょう。多くの人は「商品」と聞くと物質的なもの。ハサミやセロハンテープなどを思い浮かべます。
しかし、「サービス」に言い換えるとどうでしょうか?サービスには物質的な交換ではない、時間制の娯楽サービスなども含まれます。この場合は新宿の寄席に落語を見に行った、としましょう。提供されたのは物質ではなく、一服の上質な笑いです。これらは「概念」そのものですが、私たちはその「サービスという概念」に対しても「商品の時と同じように」貨幣を支払います。

■まとめ:アリストテレス・プラトンの「概念」も物質的である

以上から分かる通り、ミクロ経済学において「概念」は「物質的に観察可能な物に置き換えられ」ます。
「概念」は物質的な現象によって理解され、概念であるにもかかわらず、物質的なものと差が無くなります。

この視点は、アリストテレスが提唱した「物質に宿る概念=第一質料」の考え方と一致します。
また、プラトンは「概念そのもの」を重視し、その概念を生み出すところ「イデア」を想定し概念の物質的な理解を試みました。
これら二人の思想は、異なる視点から「概念=本質」を追求していた、というのは面白いところです。
因みに、それが本当に本質だったかは私は怪しい、と思っております。

さて、商品、サービス、貨幣には共通の「交換性・互換性」があります。それは一体何でしょうか?
そのお話は次回書かせていただきます。

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