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仮面ライダークウガ考 【9】49話について

 そして、いよいよ最終回、第49話「雄介」である。
  見終わっての感想は、「五代くんが死ななくてよかった」だった。同時に、気も抜けた。
 もっとも、それでもオープニングが始まった時には、かなりドキドキしていたし、 一条の、普通にしている姿を見ても、なんとなく半信半疑だった。
 途中で、キューバの海岸を歩く五代が登場した時にも、やはり半信半疑だった。
 なにしろ、東映の十八番が、海岸とか浜辺でのイメージシーンであることは、よく理解していた。
 つまり、ありし日の誰それを、他の誰かが思い浮かべていると言う設定のシーンで、東映はよく、 「浜辺(海岸)で笑顔でたわむれるの図」と言うのをやるのである。これは何も特撮に限ったことではなく、 刑事物や普通のドラマでも、東映が製作するとよく使われる。
 ので、イマイチ、五代が生きている、と言うのが信じられなかった。
 彼が生きていたんだ、と実感したのは、キューバの子供たちが登場したあたりからだろうか。 あのあたりで、とりあえず、これはイメージシーンではないのだ、と納得し、そして、「本当に」 五代は生きていたんだ、と納得したのだ。
 それにしても、特撮物の最終回としては、なんと静かで平和な最後だったことだろう。 たいていは、こう言う番組の最終回と言うと、敵との最終決戦と言うことで、ひたすらテンションは上がり、 敵であれ味方であれ、視聴者に人気のあったキャラクターが死んだりして、ファンの涙をしぼったりするのが 普通なのだが。
 「クウガ」は、一部で乱れ飛んでいたように、一条が殉職と言うこともなかったし、結局、五代も生きていた。
 ただ、もしかしたら、本当は五代はやっぱり死ぬはずだったのかもしれない、と今、ふと思う。
 と言うのも、某フィギア雑誌にて、五代役のオダギリジョーが連載していた「クウガ」に関するコラムの 最終回で、49話のキューバロケは急遽決まったものであり、しかもほとんどのスタッフとキャストには 内緒だったのだと言うことが書かれていた。
 で、思ったのである。49話を、五代のキューバでのシーンをまったく抜きにして見たなら、 まるで死んだ人のことをみんなが思い出しているかのようではないか、と。 むろん、みのりもおやっさんも桜子も、五代が旅に出た、と思っているので、そんなつもりはないだろう けれども、である。
 ただ、もし本当に五代が死んでいたなら、やはりどうしても一条だけはもっと違っていただろうから、 ここは素直に、「死んでいなくてよかった」と喜んでおけばいいのだろうけれども。
 なんにしても、これはまさしく、意表をついた最終回だったことだけはたしかだ。
 今まで、特撮番組を見慣れて来た者としては、当然、あの「五代!」の叫びの続きから49話は 始まるものだと思っていたし、グロンギのことについても、もっとちゃんと明かされるのだと思っていた。
 そもそも、48話で、<バラのタトゥーの女>があっさり殺されてしまいすぎたような気が、 私はずっとしていたので、きっと、最終回の最後の最後で、新宿だの渋谷だのの雑踏の中を、 彼女がつっと横切るシーンとかが入っているんだ、と信じて疑っていなかった。(おいおい)
 同時に、五代は、旅から帰って来たところから始まっているのだから、旅に出るところで終わり、 なんだと思っていた。
 いや、たしかに、本当の最終回もそうだったには違いないけれども、もっと、なんと言うのだろう、 たとえば『帰って来たウルトラマン』の最後のように、一条たちに見送られて、ヨットで手を振る……ってのはあんまりにしても、羽田から旅立って行く、とか、まあそう言う最後だと思っていたのだ。
 もちろん、いい意味で意表をつかれた、と言うことではあるのだが。
 まあ、このあたりの不満とかについては、次の項にゆずることにする。

 49話では、五代以外のキャラクターのその後をも暗示させていたのも、特徴的だったと思う。 たとえば、科警研の榎田ひかりと、その息子冴(さゆる)、そして城南大学の研究員、ジャンとのことなどは、 一番顕著な例だろう。
 番組中で、仕事を優先するがゆえに、息子との仲がぎくしゃくしていた榎田は、 49話において、(もちろん、それまでにも彼らの関係はいろいろ描かれているが) やっと、息子との仲を修復している。同時に、ジャンとの仲も少しだけ進展したようだ。
 また、五代がダグバを倒したことで必要なくなったと判断された、未確認対策本部も 解散されることとなり、一条は、本来の職場である長野県警へ戻ることとなった。 きっと、長野県警の亀山巡査などは、彼の帰りを楽しみにしていることだろう。
 そして、おやっさんの姪である奈々は、舞台のオーディションに合格し、役者への道を一歩 踏み出している。
 おそらく、こう言ったキャラクターたちのその後を描きたかったがために、48話にて、 全ての戦いの決着を、製作者側はつけたかったのだろう。
 それはむろん、人間ドラマを描くことを主眼としていたがゆえの、きめ細かいアフターケア だったに違いない。
 だが、49話をこう言う形にしたがために、描ききれなかった部分がたくさん残った、 のはたしかだ。
 おそらく、これについては、賛否両論があろうと思う。
 従来の特撮番組の最終回のように、最後までヒーローに戦わせ、そして敵の謎を全て暴露して、 それこそヒーローは風のように、またどこかへ去って行く方がいのか。それとも、こう言う、 後日談的な話の方がいいのか。

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