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《無料公開》【マリーンズ略史 92~05/-45-胴上げ阻止、神戸3連戦(1995年)】

(写真はマジック1となって迎えた1995年9月13日近鉄戦の様子。16日まで球場外も人で溢れた(神戸新聞から))


(45) 胴上げ阻止、神戸3連戦 (1995年)

 2023シーズン、パ・リーグはオリックス、セ・リーグは阪神がリーグ優勝を決めた。ともに2位チームに10ゲーム差以上の差をつけた圧勝で例年よりも早い時期の胴上げだった。ただ、現在の制度では、日本シリーズの進出はクライマックス・シリーズに委ねられる。両リーグとも、クライマックス進出チームが決まるまで目が離せない。

 さて、そのオリックスの胴上げはマリーンズの目の前で繰り広げられた。相手チームの歓喜を見ずにベンチを去るチームもあれば、監督が「しっかり目に焼き付けて悔しがれ」と胴上げを見届けるチームもあり対応は様々だが、やはり野球人である以上、目の前での胴上げは見たくないものである。
 マリーンズは、代々「胴上げ阻止が持ち味」と言われていた。川崎時代の1988年に近鉄の優勝を阻止した「10.19」、そして、1995年には1月に発生した阪神淡路大震災を乗り越え「がんばろうKOBE」の名のもとに一丸となって独走したオリックスの「本拠地神戸での胴上げ」を3連勝で阻止した「神戸3連勝」など目立つ試合があるからだろう。しかし、実際には胴上げを阻止出来なかったことは稀だった。例えば、前後期制だった1978年は阪急が前期も後期も優勝したが、両方とも川崎球場での胴上げという快挙を目の当たりにした。千葉移転後も移転翌年の1993年の西武の胴上げ以降、2002年と03年には西武、ダイエーと2年連続千葉マリンで胴上げを許している。データー上は決して「胴上げ阻止が持ち味」ではないのだ。

 今シーズンは胴上げを阻止出来なかったが、改めて1995年オリックスの胴上げを阻止した、伝説の「胴上げ阻止、神戸3連戦」を振り返ってみたい。

 【「がんばろうKOBE」オリックス独走】

 1995年はマリーンズファンにとっても強く記憶に残るシーズンだった。1992年の千葉移転以来、2005年の逆転日本一を遂げるまで、唯一のAクラスとなる2位に入ったシーズンだった事とともに、1月17日に阪神淡路大震災が発生し、開催が危ぶまれながらも神戸で開幕戦を行い「がんばろうKOBE」のスローガンの下に、復興の象徴として独走した強いオリックスが印象に残ったシーズンだったからだ。

 1995年のマリーンズは、シーズン序盤の低迷が響き2位に入ったものの首位争いには一度も絡むことが無かった。6月まではオリックスと西武が激しい首位争いを繰り広げたが、7月に入ると西武が失速、オリックスは快調に飛ばして首位を独走、オールスター前の7月22日にマジック43が点灯するほどだった(その後一度消滅し再点灯)。9月に入ると失速した西武をロッテが捕らえ2位に浮上した。ただ、8月末時点で首位オリックスと2位ロッテのゲーム差は14.5ゲームと大差がついていた。

 加えて、1995年当時のドーム球場は東京ドームと福岡ドームだけ。9月は中止となった予備ゲームが入り、平均的に胴上げは9月下旬から混戦ならば10月にずれ込む。ところが、1995年は雨天中止が少なく、試合消化が順調だった。特にセ・リーグは55日間(試合実施日45日)中止なしという当時の「新記録」を樹立するほどだった。そのため、オリックスの胴上げが「最短胴上げ」になるかにも注目が集まっていた。当時の日本記録は1990年の巨人の9月8日、パ・リーグ記録は1964年の南海の9月19日だった。

 9月に入りオリックスは順調にマジックを減らす。日本記録は届かなかったが、9月13日にはマジックは「1」となった。オリックスは14日の近鉄戦に敗れて胴上げは持ち越し。そして、15日からマリーンズとの3連戦(神戸)に突入した。オリックスは1試合でも引き分ければ優勝が決まる状況だった。

 【伊良部と小宮山が仁王立ち】

 マリーンズは伊良部(9勝)、小宮山(10勝)、ヒルマン(11勝)の3本柱が先発予定。一方オリックスも野田(9勝)、長谷川(11勝)が先発予定。投手戦が予想された。
 15日の初戦は伊良部と野田が先発。予想どおり投手戦が展開される。しかし4回表、2番に入った林が一発を放ちマリーンズが1点を先制。この1点を伊良部が守る。野田の前にマリーンズ打線も沈黙し追加点を奪えず9回へ。伊良部は8回3安打無失点で降板。9回裏は成本-河本の盤石リレーでオリックス打線を封じ、1-0で勝利した。

 16日の2戦目は小宮山と長谷川が先発。前日も満員となる35,000人が詰めかけたが、この日はデーゲームとあって40,000人に膨らんだ。この試合もマリーンズが先手を取る。2回表、南渕のタイムリーで1点を先制、4回表には定詰のタイムリーで1点を追加してリードを広げる。4回までオリックス打線を零封していた小宮山だったが、5回裏に高橋智に被弾して2-1と1点差に迫られる。しかし、小宮山が後続を断ち踏ん張ると、7回表にはオリックスのエラーで1点を追加し3-1とリードを広げる。8回裏に小宮山がピンチを招くと河本にスイッチ。河本が二死とするも満塁とピンチを広げると成本がマウンドへ。成本がこのピンチを断ち、9回裏もヒットの走者を出しながらも抑え、3-1で連勝した。

 【8回に逆転で胴上げ阻止】

 17日の3戦目はマリーンズはヒルマン、オリックスは経験豊富なベテラン41歳の佐藤が先発。打線はその佐藤を打ちあぐねる。2回裏にはヒルマンが捕まり、岡田、福良、イチローの3連続タイムリーで、この3連戦初めて3点の先手を許す。打線は4回表に初戦に決勝弾を放っている林が一発を放ち1点を返すも1-3のまま終盤へ。8回表からオリックスはここまで15勝27S、リーグ記録となる42SPを記録している抑えの切り札・平井をマウンドに送る。7回まで佐藤の前に4安打と沈黙していた打線が平井に襲い掛かる。満塁から初芝の2点タイムリーで同点、さらに再び満塁とチャンスを広げると南渕が走者一掃のタイムリー二塁打で6-3と逆転に成功。8回裏にはヒルマンがピンチを招くと河本が後続を断つ。9回裏も河本がオリックス打線を封じ、3連勝でオリックスの本拠地胴上げを阻止した。

 【「ガチガチ」だったオリックス】

 3連戦終了後、マリーンズの選手たちはオリックスの浮足立った雰囲気を感じたという。初芝は「シーズン中だったら、もっと色んなことを仕掛けて来ていたけどそれも無かった。神戸の皆さんには申し訳ないけど、こちらも2位争いをしているんで」と話している。特別なシーズンに無類の強さで突っ走ったオリックス。そんなシーズンだからこそ、何としても本拠地で胴上げをしたいという気持ちが、いつものオリックスらしさを消してしまったとの見方もあった。
 そう言えば、前述の10.19は近鉄監督として、この神戸3連戦はオリックス監督として、チームを率いていたのはともに仰木彬監督だった。試合後「ロッテはおれに何か恨みでもあるんか」とコメントして話題になった。

 結局、オリックスはマジック1で迎えた近鉄、ロッテとの本拠地での4連戦に4連敗。西武球場に移動した19日の西武戦で勝利して胴上げとなった。強いオリックスらしさを見せた試合だった。9月19日の優勝決定は前述の当時のリーグタイ記録だった。ただし、同じ日となった南海の1964年は10月10日に開幕する東京オリンピック開会式前に全日程を終了させるため、3月14日に開幕した特別な日程だった。いかに、このシーズンのオリックスが独走したかがお分かり頂けると思う。なお、オリックスは西武球場で胴上げしたが、1979年に開場した西武球場で相手チームが胴上げをしたのは初めてだった。

(次回)⇒9/24 18:00UP《無料》『(47)2003年 NPB記録/リーグ記録/珍記録』


----- マリーンズ略史 92~05 INDEX ------

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(2)《全文無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
  (42)《全文無料》移転直後の快進撃
  (57)《全文無料》5試合で4完封
【1993(平成5)年】
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 【選手編/投 手】

(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)
(30)《有料・冒頭試読》抑えの切り札への道・小林雅英(1999年~2007年在籍)
(32)《有料・冒頭試読》マリーンズ初タイトル剛腕エース・伊良部秀輝(1988年~1996年在籍)
(35)《有料・冒頭試読》強気なマウンド、マリーンズ初代クローザー・河本育之(1992年~1999年在籍)
(37)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の最優秀救援投手から手術へ…・成本年秀(1993年~2000年在籍)
(40)《有料・冒頭試読》7年目のブレーク「サンデー晋吾」(1994年~2013年在籍)
(43)《有料・冒頭試読》先発の柱サブマリン・渡辺俊介 (2001年~2013年在籍)
(44)《有料・冒頭試読》中継ぎ切り札から先発の柱へ・小林宏之(1997年~2010年在籍)
(47)《有料・冒頭試読》絶対的エースの信頼・清水直行 (2000年~2009年在籍)
(50)《有料・冒頭試読》球団創設年以来55年ぶりの快挙・久保康友(2005年~2008年在籍)

 【選手編/打 者】

(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(29)《有料・冒頭試読》打線を支え愛された背番号6・初芝清(1989年~2005年在籍)
(31)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後の戦士・堀幸一(1989年~2009年在籍)
(34)《有料・冒頭試読》マリーンズ初の新人王、盗塁王・小坂誠(1997年~2005年在籍)
(36)《有料・冒頭試読》「14打席連続出塁」の大記録樹立・南渕時高(1990年~1997年在籍)
(41)《有料・冒頭試読》裏から支えたバイプレーヤー・諸積兼司(1994年~2006年在籍)
(48)《有料・冒頭試読》千葉で途切れた連続記録・愛甲猛 (1981年~1995年在籍)
(51)《有料・冒頭試読》オリオンズ最後のタイトル・平井光親 (1989年~2002年在籍)

 【選手編/助っ人】

(53)《有料・冒頭試読》中4日のタフネスエース・ネイサン ミンチー(2001年~2004年在籍)
(54)《有料・冒頭試読》「神話」と「ナイト」の勝負強さ・フランク ボーリック(1999年~2002年在籍)
(56)《有料・冒頭試読》安定感抜群の助っ投・エリック ヒルマン(1995年~1996年在籍)
(58)《有料・冒頭試読》 窮地を救ったストッパー ブライアン・ウォーレン(1998年~2000年在籍)
(59)《有料・冒頭試読》「いつか必ずロッテに帰ってくる」の約束果たした フリオ・フランコ(1995年、1998年在籍)

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