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就職で鬱になってしまった僕へ

社会人になって20年近くが経つ。

今の自分がもし
就職で鬱になってしまった自分と話せるなら
何を話すだろう?

今回はそういう視点で記事を書いてみたいと思います。

          ✱  ✱  ✱

●就職することが怖かった僕へ

僕は芸大でファッションデザインを専攻していた。

毎日新しい洋服のデザインを探求する日々。
一方で、
怠惰な生活は段々自分の心と体を脆弱にしていった。

芸大生として3年生になった頃
周りが就職を意識するようになっていった。

僕は一歩も動かなかった。
というか、動けなかった。
今思えば、就職することが怖かったのかもしれない。

もっともっと、
ファッションの勉強をしていたかった。
その自由を失うことが怖かったのかもしれない。

ただ、裕福でもない我が家に
これ以上、進学の学費を捻出することはできない。

それで考えたのが、
フランスやロンドン、ベルギーに
「ファッション留学する権利を獲得できる賞」
に応募することだった。

親友にも協力してもらい
これまでで一番努力した。

でも夢は叶わなかった。

もし、
賞でグランプリを取れなかったら
どうするかは決めていた。

それは東京に行くことだった。
理由は簡単だった。

ファンションの本場と言われる
パリやロンドン、ニューヨークの人たちにとって
東京はエキサイティングな街だという雑誌を読んだからだ。
→結構単純

●夢破れて東京へ

こうして
僕は東京でアパレル企業のデザイナーとして就職した。

大したお金もなかったから
引っ越しのトラックの助手席に乗せてもらい
東京を目指すことにした。
トラックは夜中に出発し、
両親は眠い眼をこすりながら手を振っていた。

感慨深いのも束の間、車酔いで途中のインターでゲーゲー吐いた。
思えば、あの時から東京新生活の辛酸は始まっていたのかもしれない。

車酔いと睡眠不足の中
明け方の朝日を浴びながら
新生活のアパートにトラックは到着した。

●東京での新生活と仕事

ファッション留学の夢は叶わなかったけれど
東京での新生活にワクワクしていた。

しかし、
ワクワク感はそう長くは続かなかった。

自分の好きなデザインだけしかしてこなかった自分。
プライドや自尊心だけは高かった自分。
企業のブランドの看板を背負い
利益を上げるためデザインをすることに馴染めなかった。

そもそも
芸大の4年間「誰かのためのデザイン」
を学んでこなかった。
自分が美しいと思う・ワクワクするデザインだけを
追い求める日々だった。

企業デザイナーの仕事は
徹底的に自分ではない誰か(消費者)のためにデザインし
そして、利益を生み出すことが目的だった。

当時の会社は
今で言うブラック企業に近かったかもしれない。

長時間にわたる残業と心労が重なり
次第に自分の心と体は蝕まれていった。

ただ、長時間にわたる残業も今の自分なら、
もっと要領よく対処できるのになぁ。
とも思ったり。

●当時の自分に声をかけるなら

当時の自分に何と声をかけるだろうか?
「がんばっているね!」

そう言われてもなぁ。。

「もっと自分ではない誰かのためにデザインすることを楽しんでみたら?」

それも、
当時の僕にとっては綺麗事のように聞こえるだろう。

だったら、何と言ってあげたらいい?

「そんなに無理しなくたって、もう今の会社辞めたらいいんじゃない?」

でも、当時の僕は辞めたくなんかなかったのだ。

だって、ファッションデザイナーになることは、
僕の「夢」だったから。

もうでも心と体が限界に達していた自分は
ある日、部長に告げた。

「もうこの仕事を、会社を辞めさせてください」

20代ではじめての大きな挫折だった。

大好きなデザインを自ら手放すという
悲しい決断だった。

一番精神状態が危うい時は
「死にたい」と思ったこともしばしばあった。
そこには、鬱になった自分がいた。

●鬱になって会社を辞めたその後

会社を辞めた後
先行きはまだ見通せていなかった。

ひとり暮らしで上京してきた自分には
会社を辞めることは
即、死活問題になる。
払えなくなる家賃、
返さなければならない奨学金etc・・・

もう一度自分を立て直さないといけない。
それだけはわかっていた。

悩んだ末
「自分に正直に生きよう」
と思った。
そして選んだ答えは、絵を描くことだった。

あの頃のように自分を表現し、取り戻したい。

当時、周りのほとんどの人たちに反対をされた。
「絵なんか描いてどうするの?」
と。

それでも僕は夜間の美術学校のアトリエに通い、
昼間は働くという選択をした。

この選択は
その後自分の人生で最大の苦難と発見をもたらすのだが
ここでその話は割愛したい。

●今の自分から、鬱になって会社を辞めた僕へ

ただ、その決断を今も後悔はしていない。
むしろ、勇気ある決断をした自分を褒めてあげたい。

そして、今幸せな日々を過ごしている。
当時の僕に「今幸せな日々を過ごしている」と話したら、
「ウッソー!?そんなの信じられない!!」と言うだろう。

彼が「ウッソー!?そんなの信じられない!!」
と言うのは
それからたくさんの人に支えてもらい、
助けてもらえることをまだ知らないからだと思う。

さらに、
「自分ではない誰かのために」生きる
素敵さに気づけていなかったからだ。

でも、当時から頑固だった僕に
「自分ではない誰かのために」生きる
って素敵なんだよ。
と言っても響くだろうか。

だから、こう告げてあげたい。

(その後、辞めた会社で学ばせてもらったスキルが評価されて、自分にとって良い会社に巡り会えたこと。
デザインの仕事や絵を描くことを続けられていること。夢ができたこと等)
「大丈夫、その先に光がきっと待っているよ」と。

(重い風邪を引いて動けなくなった自分のために、
親友が原チャリを40分飛ばして風邪薬を持ってきてくれたことw等)
「自分を大切に思う人が必ずいるよ」と。

(もう人生やめようかなと思った時、母から電話があったこと。
母の口グセはいつも「辛抱やで」で、何の解決にもならなかったけど、
自分を愛してくれていることだけは、伝わってきたこと等)
「あなたは愛されているよ」と。

それでも、まだ頑固な僕は
「ウッソー!?そんなの信じられない!!」
と言うだろう。

オッケー、僕のことは僕が一番よくわかっている。

●どんな経験や挫折も無駄にはならない

人生は歩んでみないとわからないことがある。
だから、どんな経験や挫折も無駄にはならない。

たとえ鬱になって仕事を辞めたとしても、
それが後に学びになれば、すべてチャラだ。
チャラどころか倍返しだ(半沢直樹風)。

          ✱  ✱  ✱

だから大丈夫。
『生きていてくれてありがとう』
ただそれだけでいい。

今はそう思う。


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