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LV.87 すぎやまこういち は伝説の勇者だったー第32回ファミリークラシックコンサート ~ドラゴンクエストの世界~ を聴いて

バレエとゲームの歴史を変えた二人のレジェンド

「なんかさぁ、君の曲、薄っぺらいっていうか、甘ったるいていうか、バレエの曲みたいなんだよね」

と、作曲家を志す若者が師匠からダメ出しされていた……かどうかはわからない。しかし、クラシックバレエが花開いた19世紀のロシアでは、バレエ音楽は単なる付随物で、芸術的な評価を得るのは難しい、いわゆる二流の仕事と見なされていたという。

「もっと音楽の芸術的な側面を高めなければ、バレエの未来は開けない」

マンネリ気味の上演作品から危機感を覚えたロシア帝国劇場支配人ベギチェフは、能力のある作曲家を求めていた。そして目を付けたのがチャイコフスキーである。

それから約100年後、これまでに類を見ない本格的なテレビゲームによるRPGの完成が目前に迫る中、音楽の出来上がりに満足していなかった堀井雄二は、一から作り直すことを決断する。そして迎えられたのが、すぎやまこういちであった。

バレエとゲームには、ダンサーの身体性やゲームの技術的な問題に左右されるなど、非常に厳しい制約の中で作曲しなければならないという共通点がある。しかし、この二人のレジェンドはその制約を創造の源泉とし、新境地を開拓した。

2声部で奏でられる壮大な世界

今でこそ、オーケストレーションされたシンセサイザーの音源でゲームに彩りを持たせられるようになったが、今から約30年前、1986年に発売された「ドラゴンクエスト」では、一度に鳴らすことのできる音はたったの3音。しかし,容量の関係で事実上2音しか使えない。つまり、ほぼ単旋律で雄大な世界を表現しなければならなかった。この制約から、すぎやまは中世騎士道の世界観との親和性の高いクラシック音楽を基調に作曲することを主張したという。結果、クラシック音楽の技術を存分に活かした魅力的な楽曲を数多く生み出すことに成功している。

城や王国など格式の高い場面では、2声部という特徴を生かしたバロック調の音楽(ゲーム特有の「ピコピコ音」もチェンバロに脳内変換される!)、戦闘などスピードや緊張感が求められる場面では、アルペジオ、トレモロ、半音階など、決まった音型を素早く奏でることによって重音感を生み出している。また、塔やダンジョンの複雑さ、緊迫感が求められる場面では変拍子や不協和音を使うなど20世紀の音楽の要素をふんだんに扱い、他にもタンゴやワルツなどの舞踊曲や民族音楽の要素も多く取り入れている点等からも音楽に対する妥協の無さが感じられる。そして、特筆すべきなのは、何度聴いても飽きのこない美しいメロディーだろう。Ⅲの「おおぞらをとぶ」をフルートとオーボエが高々と歌い上げると、こちらの体も宙を舞い、世界を駆け巡る気分に浸る。それが、限られたゲーム音だけでもプレーヤーの胸に響くのは、やはりメロディーの力があってこそなのだと思う。

ライトモティーフが世界を繋ぐ

思い起こすと,ドラゴンクエストⅢをクリアし終えた時、つまり、ⅠーⅢまでのストーリーがロトシリーズで繋がった時、「ワーグナーのオペラを見たかのようだ」と感じた。それは、壮大な世界観、時間軸で紡がれた冒険譚としてのストーリーはもちろんのこと、ライトモティーフ的に扱われる音楽が、観る者をその世界に誘うからに違いない。その思いは約30年経った今、今宵聴いた「ドラゴンクエストⅪ」で結実した。ライトモティーフとは特定の人物や状況などと結びつけられ、繰り返し使われる短い主題や動機を指し、ワーグナーが好んで使った手法としても有名であるが、このドラゴンクエストシリーズでも多用されている。わかりやすく言うと、Ⅳ(それぞれの章の主人公に音楽が割り当てられている)、Ⅺのシルビアやセーニャ(彼らが主となる場面では必ず特定の音楽が流れる)、ヒーローズ(キャラクター登場場面)の例が挙げられる。しかし、その中でも筆者が一番心に残ったのは「レーラーソ」の3つの音から成るロトの動機(と勝手に名付けさせてもらった)である。つまり、Ⅰの「広野を行く」、Ⅱの「遥かなる旅路」の最初のメロディーで使われている音型だが、XIでは「黄昏の荒野」で使われている。XIで冒険する世界の名が「ロトゼタシア」であることから、「ロト」につながるということはある程度予想されるが、破壊されたイシの村やユグノア王国という主人公に深い関わりのある場所でこの動機を聞くと、「ロトの伝説」へとグッと引き寄せられるから不思議だ。まさに音が「過ぎ去りし時を求めて」いるかのように心に鳴り響く。Ⅺには他にもこれまでのナンバリング作品の中から多数の楽曲が使用されている。わかりやすいものから、深い意味のあるものまで、音楽を紐解くだけで1冊本が書けてしまえるのではないか、というほど奥深いものとなった。今回会場で演奏されたのは、Ⅺで新たに作曲されたものだけであるが、これまで作曲された全作品をもう一度聴き直したいと思った。音楽とともに蘇る記憶と感動が、会場に集まった勇者たちの目頭を熱くさせた。ニコニコ動画でライブ配信された映像を見ていた全世界の勇者たちも同じ思いだったに違いない。

そして伝説へ……ゲームとバレエとコンサートを変えた勇者

同時に、「ドラゴンクエストシリーズ」は「ワーグナーには手を出してはならぬ」と躊躇するクラシック音楽ファンの心境と同じような「ハマったら泥沼」的な魔力も蓄えてしまった、ということもふと頭を過ぎった。

実は、チャイコフスキーとすぎやまを結びつけるもう一つのキーワードがワーグナーだ。チャイコフスキーはまだバレエの知識が乏しい中、『白鳥の湖』の作曲に取り掛かる前に参考にしたのがワーグナーの『ローエングリン』と言われており、同じく、すぎやまも参考にしたのがワーグナーの『ニーベルングの指環』であるという。ちなみに『ニーベルングの指環』は序夜と3日間のための舞台祝典劇という名が示す通り、上演に計15時間もの時間を要する。ワーグナーのある意味誇大妄想とも言える壮大なイマジネーションを具現化した作品を前にすると、むやみに手を出してはいけない、と少なくとも筆者は躊躇するのであるが、30年間という月日を経て結実、もしくはまだまだ勢い衰えないドラクエの世界観は、ワーグナーを凌駕したかもしれない。また奇しくも、その世界観はバレエへと昇華している。

コンサートの中で、すぎやまは「堀井さんのとてつもないイマジネーションに必死についていくだけだった」という旨の言葉を残したが、妥協ない想像と創造が結実した時、それはなんであろうと芸術になるのかもしれない、と話を聞きながら、すぎやまとチャイコフスキー、そしてワーグナーに思いを馳せた。

「すぎやまはテレビゲーム音楽の歴史を変えた」ということを今更口に出すことは野暮かもしれない。しかし、本日の演奏を聞いて、文字通りの「老若男女」が一堂に会場に集まり、全員が真剣にオーケストラの演奏を聴くコンサートは他にあるだろうか? と、台風の影響をもろともせず集まった満員の会場を見渡しながら自問した時、すぎやまはテレビゲームだけではなく、日本のオーケストラ・コンサートの歴史をも変えてしまった、と確信した。

LV.87になられた「すぎやん」ことすぎやまこういち本人のタクトを目に焼き付けることが出来て感無量だった。勇者よ、これからも伝説を作り続けてください。

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