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昔のことが書きたい

5歳からピアノ、高校受験の為の音楽学校に10歳から通った。高校3年間はひとつのコンクールに頭がいっぱいで過ごして、受験とオーディションとコンクールの為に演奏した。

演奏する数時間前どころか、数週間、数ヶ月前からずっと嫌な気分だった。私は優れているか、私は相応しいか。私はこの曲を演奏するに値するか。

10代の私を支配したコンクールは毎コンって呼ばれてて、当時4地区あって、地区大会本選の一位だけが全国大会に行けるシステムだった。全国大会1位になると確か春の甲子園で君が代が歌えるというオマケ付きで今は何人かいけてワンチャン逆転できるがが、当時は兎に角一位にならなければそこで終わりで意味がないと思っていた。高校3年生、2位で私の青春は終わってうちの地区の1位が甲子園で歌ってた。敗北感しかなかったし、消えてしまいたかった。

あの頃の焦燥感、自己嫌悪や不安をよく覚えている。卑屈で傲慢。

大人になって、今、誰か知らない人が私の音楽に立ち止まるたびに幸せに演奏できている。私のチェコ語の歌に、イラン人もキューバ人もケニア人も耳を傾けてくれた。

言葉を超えたコミュニケーションは芸術の最終到達点だ。私たちは言葉にならない何かを常に芸術に託す。正確な打鍵は綺麗なキャベツの千切りのようなもので、それの機械的な美しさに感動するのは芸術の本質ではない。荒いよりかは細かい方が揃ってて綺麗だが、ザクザクしてても美味いもんは美味い。そして、ここでいう美味いは、生きてるって感じられるかどうかだ。溢れる生命エネルギーを歌に音楽に或いは絵や彫刻に変換して、他人と共有するために生きてる。

パリに住んでも得られなかった、この私の夢の最終到達点に、近所で演奏すれば出会えるなんて、まさに青い鳥だ。パリの街でも好き勝手に演奏すれば良かっただけなのだ。

あの頃、パリの屋根裏部屋で読んだ
岡本太郎「壁を破る言葉」

なんでパリなの。芸術家っぽいからじゃないの。とか

私の化けの皮が剥がれた気がした。あの言葉は刺さった。

あの頃の私は肩書きや学歴や、誰かのお墨付きが欲しくて、評価される音楽や正しくて上手くて文句をつけられない音楽がやりたかった。大きな劇場で大きな役をやる価値が私にあると思いたかった。

今すぐに鉛筆と紙を手にすればいい。それだけだ。とか岡本太郎はあの本で言ってた。

今。

私にはハープがあり、歌がある。
つまり全て揃っていて足りないものは無い。

なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。とか岡本太郎があの時言ってた。

今それを体現できる気がする。
ここが、私の劇場。
明日【Appear】vol.14始まります。

ハープと世界を周り、歌い続けます。いつかお会いできますように!