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あの日断ち切った、「自分の心と体のつながり」を結び直す

はじめて脱毛症を発症したのは、今から10数年前、26歳のときだ。
円形脱毛症。いわゆる「10円ハゲ」というやつ。

当時を思い返すと「ああ、よく頑張ったなぁ」としみじみ思う。仕事はとんでもなくハードで、上司は厳しく、貧乏でお金がなく、日当たりゼロの6畳1ルームに住んでいた(家賃38,000円)。

初めて脱毛部位を見つけた時の、指先の感触は忘れられない。顔や腕などの皮膚とは全く違う、異様な「ツルツル感」。たぶん、経験したことがある人ならわかるはずだ。
最初は文字通り「10円サイズ」だった脱毛部は、すぐに500円サイズへと広がり、近くにもう一つ、2つと新たにできて、それらが繋がって………どんどん範囲が大きくなった。最初は髪の毛の結び方を工夫して隠していたが、それもすぐに難しくなった。

とはいえ、手のひらサイズ程度だったので、外出時に帽子をかぶれば容易に隠すことができた。沈んだ気持ちを上げたくて、デザインの凝った帽子をいくつも購入して「おしゃれとして帽子をかぶっていますよ」という自分を演出していた。
それなのに、いざ人から「帽子、おしゃれだね」「オリイさんと言えば、帽子のイメージ。似合うよね」など、ポジティブな言葉をかけられると「ありがとう」と返しつつ、心には隠しごとをしている後ろめたさが広がった。私の表情は引きつっていたかもしれない。

親には言えなかった。

前述のような大変な日々だったとはいえ、それは自分で選んで飛び込んだ環境。中学生の時から希望していた職種にやっと携わることができた頃だったのだ。
告白すれば「仕事をやめろ」と言われるのでは、と想像し、言えなかった。帰省したときも「寒いから」などと言って、部屋の中でも常にニット帽をかぶり、隠し通した(その数年後、悪化しすぎて言わざるを得なくなったけど)。

毎晩、真っ暗なワンルームの自宅に帰って、帽子を脱いで鏡を見るたび「もう一生、生えてこないのではないか」と絶望的な気持ちになった。が、それもすぐに慣れた。慣れたというか、積極的に心を不感症にしたというべきか。悲しみに浸ればどこまでも落ちていきそうで、もう戻ってこれなくなるのでは、と思ったのだ。自分を守りたいと、自ら「体と心のつながり」を断ち切った。

自分の心と体のつながりを取り戻す

この出来事をきっかけに、自分の体を「自分のもの」ではないような、一歩引いた目で見るクセがついてしまった。そのクセは、その後何年も、尾を引いて自分の感じ方や考え方に影を落としてきた。抜け出すのには苦労した。

しかし、数年にわたる症状の回復と悪化の繰り返しを経て、今、私は、ようやく自分の心と体のつながりを結び直せたと思っている。

「自分の体」という素材が、どんな「素材」であっても、完璧じゃなくても、見捨てない。ほかにない唯一の相棒として受け入れる。愛する。
傷んだり、へこんだりした「規格外な素材」でも、磨きたいという気持ちにフタをしない。少しでも「心地よい」状態を追求してあげる。

まだ、うまく言葉にできない。
けど、この気持ちを書き残していきたくて、どうやって自分の体とのつながりを結び直したかを伝えていきたくて、今日、noteを始めることにした。

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