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嵐は起こる

私含めクリスチャンが勘違いしやすいこと。
それは、クリスチャンであっても、
人生には苦しみや災難があるということ。

イエス様に守られているから
嫌なことは何も起きない!というのは
大きな間違いです。

嵐を静めたイエス様のお話があります。

「それから、イエスと弟子たちの一行は舟に乗り込み、湖を渡り始めました。 すると突然、激しい嵐になりました。舟は今にも、山のような大波にのまれそうです。ところが、イエスはぐっすり眠っておられました。 弟子たちはあわてて、イエスを揺り起こし、「主よ。お助けください。舟が沈みそうです」と叫びました。 するとイエスは、「そんなにこわがるとは、それでも神を信じているのですか」と答えると、ゆっくり立ち上がり、風と波をおしかりになりました。するとどうでしょう。嵐はぴたりとやみ、大なぎになったではありませんか。 弟子たちは恐ろしさのあまり、その場に座り込み、「なんというお方だろう。風や湖までが従うとは」と、ささやき合いました。」

マタイの福音書‬ ‭8‬:‭23‬-‭27‬ ‭

イエス様と一緒にいた弟子たちでさえ、イエス様と一緒にいるにも関わらず、荒波や海の災難に怯えて恐れています。

ですが、そんな中でもイエス様は眠っておられるのです。

私たちの人生も同じように、さまざまな苦難や苦労が伴います。ですが、イエス様が眠られているように、私たちも「なんとかなる」とイエス様に守られていることを信じ、同じように過ごすべきです。

「主は嵐を静め、波を穏やかにされます。」

‭‭詩篇‬ ‭107‬:‭29‬

こんな話もあります。

とある旅人が海で嵐の中、荒波に流されまいと必死の思いで船を漕いでいました。波に歯向かって、それはもう必死に。生きようと。

ですが、力尽きて祈りました。

するとどうでしょう。船は荒浪に揉まれ、流されていきます。もうされるがままです。

そして流された先、それは港でした。
陸にたどり着いたのです。

時に人は自分の力だけで何とか解決しようと必死に努力します。ですが、どうにもならない困難や不幸に見舞われることもあります。

そんな時は祈って、神様に身を委ねてみてください。

それが大事です。

「重荷を主にゆだねなさい。 主が背負ってくださいます。 信じて従う者が足をすべらせたり、倒れたりするのを、 主が黙って見ておられるはずがありません。」

詩篇‬ ‭55‬:‭22‬ ‭

祈り方って、まだクリスチャンじゃない方は分からないと思いますのでお伝えします。

・告白
「私は今までイエスキリストを知らない人生を歩んできましたが、今ここでイエスキリストを自分の主として信じます。イエスキリストは私の罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、3日目によみがえったことを信じます。」

・お祈り
「イエス様、聖霊様、天のヤハウェ父なる神様、今日も日用の糧を感謝します。…イエス様の御名前によって委ねてお祈りします。アーメン」

…の部分は自分でイエス様に伝えたいことを話せば良いです。

そして注意したいのが、「委ねてお祈りするということ」です。お祈りしたら、全てが叶うとかそういうものではありません。天の父なる神様は貴方にとって良いと思うものを与えてくださいます。親が子供を甘やかしすぎるような教育をしてはならないのと同じです。それはたまに親が子どもを叱るように試練さえも与えられることがあります。

でも全ては神様の愛ゆえなのです。

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

Ⅰテサ5:18

自分の思い通りの結果にならなくても、すべては自分の人生の良い計画に繋がってることを信じて感謝する。

自分自身のことって自分では分かったつもりでいてわかっていないものです。というのは、本当に自分が望むものや幸せというのは、自分では実は気づいてなかったりするものです。

神様は貴方の全てを知っておられます。

「雀五羽はいったいいくらですか。 たったの百円ではありませんか。こんな雀一羽でさえ、神はお見捨てにならないのです。 それどころか、あなたがたの髪の毛の本数さえご存じなのです。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀より、はるかに価値があるのですから。」

ルカによる福音書‬ ‭12:6-7

イエス様を信じてひとりでも多くの人が、自分の人生を認め、救われますように。






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