望遠のマーチについて

望遠のマーチをずっと聴いている。
25周年ライブの一般2次抽選発表の日の朝からだから、6/10(金)以来この5日間ずっと聴いていることになる。

なんでこの曲を選んだのだろう。
「希望」とか「行こう」とかなんとなく縁起と耳障りの良い言葉が歌詞に入っていたからかもしれない。
チケット当落発表の朝、電車内で繰り返し繰り返し聴いていた。
聴いているとオーロラアークのライブが頭に浮かんでくる。浮かぶと言ってもライブの時の映像なんて見た瞬間に脳内から溶けていくものだから瞬間を切り取った画像としてし存在しないし、画像として残ってるだけで褒めてもらってもいいくらいだ。
ステージと同じ幅の巨大な真っ白なスクリーンと4つのシルエット。
うわ綺麗。眩い。歌い方かっけぇ。え、望遠のマーチってこんな感じだったっけ…?
なんて当時の感情を思い出しながら朝会社へと向かっていた。

験担ぎ的に再生を始めたのに、気付いたら望遠のマーチの良さをひたすら再認識する音楽体験になっていた。
希望と絶望。朝と夜。本音と建前。心と体。自分と他人。
対極にある色々なテーマをテーブルに並べて、さぁどうする?と試されてる気持ちになってくる。

もっと聴いていると対極にあると思っていたものがじつは円環なのかもしれないと感じてくる。
絶望の先に希望があり、またその先に絶望がある。
朝は夜へ向かう途中にあり、夜は朝への過程だ。
どちらか片方ではなく両方を受け止めてあげる唄を藤原さんは歌ってくれた気がした。
ズームしすぎると全体像を失い正確に掴めない。
レンズを覗きながらうまく調節して少し離れて眺めてみたら、今でっかく感じてるそれも実はそうでもないかもよ?って。

チャップリンのこの名言と通じるものがある気がする。

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である」

どの距離で捉えるか、という話。
Stage Of The Groundに以下の歌詞がある。

絶望と出会えたら手をつなごう

これも希望と絶望が隔絶ではなく円環で繋がっていると捉えてるからこその歌詞な気がする。

どれだけ待ったって誰も迎えに来ないじゃない

希望だろうが絶望だろうが空が明るかろうが暗かろうが、一人で座り込んでてもなにも始まらないよ。その羽根で飛ぼうぜ。
そう言われてるように思った。

羽根といえば。

飛ぼうとしたって羽根なんかないって 知ってしまった夏の日
これまたStage Of The Groundの歌詞。
羽根がないと気付き夢を失った"君"を、また歩けるよう背中を押してあげるStage Of The Groundと、大丈夫最初っから無かったし今もあるから飛べるよと諭す望遠のマーチ。
20年前の楽曲の軌道をなぞり、全てのリスナーに見えない羽根を取り戻させて藤原さんは呼びかける。

いこう いこうよ

25周年ライブは外れた。
楽天のスーパーセールのCMが何度も25周年と連呼するからその度に傷口がちくちくした。
昨日公式のチケットトレードが発表された。
大丈夫だ。

いこう いこうよ

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