見出し画像

息を抜いてもモヤモヤは

結局・・・なくならない。笑
言い切ってしまいたいほどなくならない。
モヤモヤの根源が改善されない限り、モヤモヤは消えも隠れもしない。
そのモヤモヤと向き合わないといけないというのはわかっていても、モヤモヤのピーク時にそんな向き合う体力も気力も残されていない。
だからいくら時間が経ってもモヤモヤは消えない。

友達とスーパー銭湯に行ったり、美味しいものを食べたり、家でお茶を立てたり、映画を一日中観たり、漫画を読んでみたり、ひたすら寝ても、モヤモヤはなくならない。
ただそれらは、最高にリフレッシュにはなる。そこから現実を見た時に何も解決にはなっていないことに驚愕して元気がなくなる。
せっかくリフレッシュしたのにという落差でさらに悪循環に飲み込まれてしまう。

と・・・ここまで散々「ない」ばかりの文章をつらつら見せられても困るというのもわかるから、ごめんなさいという気持ちも湧いてくる。
ただ「モヤモヤはモヤモヤの中心を見ないと消えないよね」って話で・・・(あ、また「ない」が出てしまった。)

何をしてもダメだ〜となり、実家に帰ったら落ち着くかなと思い帰ってみた。
そしたら弾丸にも関わらず、肌荒れが一瞬でなくなった。(あ、やっとポジティブな「ない」が出てきた。)

実家にいるとびっくりするくらい時間を長く感じる。
犬と遊び、好きなだけ自由にのびのび過ごした。

それでも日常に戻るとやはりモヤモヤは残っている。
「そこと向き合わない限りダメだぞ」という看板を突きつけられているような気分になる。

そんなある日、不意に今まで友達や家族が息抜きに付き合ってくれた時間が無駄ではなかったことに気がつく。(あ、またポジティブの「ない」が出た!)

それはどうしてかと言うと、その時間は圧倒的に元気になれる時間だったから。
なんだそんなことかと、当たり前のことを言っているかもしれないど、悪循環の真ん中にいる時はここから一生抜け出せないんじゃないかという不安が襲ってくることがある。だから周りのお陰で元気になれる時間があると、その時は悪循環中でわからなくてもふとした時に少し気持ちが軽やかになっていることに後から気づく。

モヤモヤが消えなくても、元気になれた時間もモヤモヤと同じように消えない。蓄積されたその時間は今までやる気が出ずできなかったことを少しずつさせてくれる。そして遂にモヤモヤの根源と向き合う時間も作ることができた。すぐには解決できなくとも、周りの人が前向きに背中を押してくれる。

私は大概元気な方だけど、私が元気なんじゃなく、周りの人が私を元気にさせてくれるんだということを改めて思い知った。だからずっと感謝だね。

あと、元気がなくなるから元気になれるんだとも思った。
なくなるからまたエネルギーをチャージできる。

だから元気になろうとしなくていい。
そんな風に「しなくなったこと」が色々と増えた気がする。
「ない」ということにもポジティブな時があるように、「ない」ことを自分で否定したり責めたり追い込んだりしなくていいんだと思った。
潜在意識のために断定的に、肯定的に話すことを意識していた20代前半は特に「ない」を避けようとしていたから、なおさら身に沁みて感じている。

そんな今、私には芝居が生きていく上で必要なものなんだということも改めて思い知った。みんなで良い作品に向かうこと、そこには妬みも裏切りもない。純粋な気持ちで作品のことを、役のことを考えてトライする時間が、こんな幸せなことなのかと感じている。このタイミングで稽古ができることに感謝して、明日からもまた挑戦しよう。


◯に出てます観に来てね

この記事が参加している募集

最近の学び

新生活をたのしく

読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。