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転売とPS5とゲーム内経済

 それが事実であるかどうかはさておき、PS5は転売ヤーの餌食になっており、ソフトが売れないだとか、PS5本体が必要な人に届かないか、あるいは値段がおかしいだとか、そうした被害が報告されている。まあたぶん、ある程度は事実なんでしょう。
 PS5に限らず、転売は昨今の社会的問題の筆頭であるといっても過言ではないだろう(クソデカ主語)。これは個人で物のやり取りをするコストが大きく低下したことに原因を求められよう。たぶん、メルカリとかそこら辺。


 ところで、「ゲーム内経済学」という言葉を聞いたことがあるだろうか。多くの方には聞き覚えのない言葉だろうが、それも当然で、私がさっき思いついた語なのだ。
 ゲーム内経済、というのはゲームのうち市場機能があるものでの、そうした経済を指す語だ。こうした機能―マーケット機能などと呼ばれることが一般的だろうか―は、全てのゲームにある訳ではないが、いわゆるネトゲなどと呼ばれるゲームではあって一般的である。逆にいえば、それ以外のゲームでは一般的ではないとも言える。この理由として、ゲーム内経済というのにはプレイヤー同士のやり取りであること、というのっ挙げられる。闇の武器商人から弾薬を買うようなものを、ここでのゲーム内経済には含めない、ということだ。やり取りする相手がそもそもゲームにおいて存在しないのであれば、ゲーム内経済は成立しない。ジャンルでいうと、ネトゲのようなものに限られるのは、こうした理由がある。

 ここからが本題になるが、何故転売は現われるのか。
 ゲーム内経済においても、「転売」の問題は時折現れる。転売が問題であるのは上記の通りだ。つまり、必要な人に届かない、その事によってソフトが売れないなどの付随した問題が現われる、購入する側に負担が押し付けられる、等々。
 そうした、転売が現われやすい環境を指して、「転売市場」などと呼べるのではないだろうか。そうした市場は恐らく、以下の条件を満たすものとできる。それを、ゲーム内経済から類推しよう、みたいなのがこの記事の目的だ。


 ゲームにおいて、転売が発生するのは、それがゲーム内通貨を得る手段としては最も・・・とは言わないまでも、相当効率的な方法であるためだ。つまり、他にゲーム内通貨を得る手段に効率的なものが存在するのであれば、転売はあまりなされない。全くないとは言わないが、少なくとも現実でのPS5のような事態になることはないだろう。
 さらに、転売をするには特殊な技能だとかが必要ではない。利益を生み出すにあたり、何かを生産する必要がない。出入りが比較的自由である市場であるならば、利益が出るかどうかはともかく、誰でも明日から転売ヤーになれる。何かを作ったり直したりする、あるいはそうしたことができるようになるのには費用が要る。対して、出来上がったものを右から左に動かしたり、壊したりするのはそれほどでもないことが多い。いくら意思があったとて、明日医師になることは無理だが、石に、いや、鉄砲玉にはなれよう。
 さらに言えば、そうした自由な市場において、供給がやや弱いようなものも狙われやすいだろう。ゲームでいえば入手が難しレアアイテムだとかの市場での価格は、時として非常に不安定なものになる。物理的な生産をする必要であるPS5ならば、おいそれと供給が増えたりはしない。限定品のプラモなんかも良く狙われるというが、似たような原因によるものだろう。

 第二には、転売の対象となる物の価値が減少しないこと。あるいは、価値を保つのにコストが係らないか、それが低いことを挙げられる。この場合の価値というのは他人から見たものというよりかは、物それ自体が劣化しないということを重視したい。というのはつまり、放っておくと腐ったり、消えてなくなったりするようなものの転売は敬遠される。食べ物だとか、氷だとかだ。どちらも、放っておくと価値が劣化していく。食べ物は基本的に腐るし、氷は融ける。冷蔵庫とか冷凍庫に放り込むことによって価値を保つことは可能だが、冷蔵庫なり冷凍庫の購入費用、運搬費用、電気代といった諸々のコストが係る。そうなると、転売ヤーからではなく近くの西友に行って買えば良いという話になる。転売ヤーも経済的な利益のために転売をしているのだから、利益が出ないのであればそういったことはしない。

 この点、PS5は食べ物や氷とは異なり、常識的な範囲で放っておいても劣化しない。あるいは、ぐるぐるに梱包しておくなどの比較的安い方法で価値を保てるだろう。これが、物それ自体が劣化しない、という意味だ。少なくとも、致命的な劣化というのは免れる。
 他者からの価値というのも触れておかねばならない。仮に、ここに4年前に購入して以来、未開封で傷どころか指紋一つないPS4があるとする。これの他者からの価値は、今よりも4年前の方が高いだろう。しかし、PS4それ自体は4年前から全く同じ性能、姿かたちで存在している。つまり、PS4それ自体の価値には変化がない。
  PS5についても同様のことが言える。今は多少値段に「手数料」を盛って転売するにしても売れるかも知れないが、PS6が出てからではそうもならないだろう。物それ自体の価値と、交換に値する価値(≒市場での価値)というのは、それぞれ似ているようで別なのだ。
  ゲームのアイテムも、一般的には、食べ物や氷とは異なり放っておいても減ったりはしない。するアイテムももちろんあるだろうけども、一般的には、しないことが多かろう。

 さらに、ある程度小型である、つまりかさばらないものであることが求められる。ゲームのアイテムはこの点で非常にかさばらない。アイテム欄をある程度圧迫するなどの場合はあるだろうが、物理的な意味では無いようなものだ。PS5も、まあ頑張ればどうにかなるレベルの大きさであると判断できよう。

 こうした環境、つまり、比較的自由な市場の存在、他に経済的な利益を上げる機会や、そうした利益を上げる教育だとかが不足しており、価値の保存が比較的容易でかさばらず、需要が十分に見込める物があり、そうした物の供給を比較的容易に疎外できる場合。こうした場合には、転売が蔓延るのだ。ゲーム内経済というのは、他に経済的(というのはもちろんゲーム内通貨だが)な利益を得る方法がない場合は、あっという間に転売経済へと転化する。生まれながら構造が、限りなく転売市場に近い。
  そして、ゲームに限らず、市場に自浄作用はない。誰かが管理する必要がやはりある。これで日本人初のノーベル経済学賞が狙える!
 とまあ、最後になりますが、私も経済で博士だとかそういったこともないので、もしガチ勢の方々だとか、俺はノーベル賞なんだが?という人からのツッコミがあれば、優しくお願いします。という訳で、これを先に言っておこうと思います。ごめんなさい。

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