見出し画像

ゲーム文化

先日、バスケで有名なあの『AC北斗の拳』の大会、EVO2023の録画が上げられていたのを少し見た。AC北斗の拳に限らず、未だに遊ばれている過去のゲームは少なくない。筆者も『ポケットモンスターエメラルド』を昨年に少しやっていたのだが、バトルフロンティアの各種攻略や乱数調整などの研究が未だなされていて、非常に驚いた。とはいえ、そうして長く遊ばれるゲーム、長く遊ぶプレイヤーは存在し、ゲームを取り巻く環境の一部である。

ゲームを取り巻く環境の一部、というのをひとまず文化と呼ぶ事はできるだろうし、一般的に「ゲーム文化」という語は度々目にする。しかし、ゲーム文化を説明するものを目にする機会は乏しい。さらにいえば、そもそもの「文化」を定義する必要がある。都合よく、文化庁がありがたく定義を掲載しているので、ひとまずそれを拝借してみよう。つまり、文化とは

「文化」は,最も広くとらえると,人間が自然とのかかわりや風土の中で生まれ育ち身に付けていく立ち居振る舞いや,衣食住をはじめとした暮らし,生活様式,価値観など,人間と人間の生活にかかわることの総体を意味しますが,本審議会では,主として「人間が理想を実現していくための精神の活動及びその成果」の側面から文化を考えました。

文化を大切にする社会の構築について ~一人一人が心豊かに生きる社会を目指して

ということらしい。文化庁が定義したら、途端にその定義こそが文化となる訳ではない。仮に、文化庁が不倫を文化と規定したとしても、世間は石田純一を許さないだろう。議論の余地が残るしが、文化をはじめから定義するのも紙幅を嵩めるため、ひとまずはこれで行きたい。

近所の駅前の商店街に居酒屋があり、その看板に、酒と餃子は文化、といったことが書いてある。酒と餃子の組み合わせでないといけないのか、酒と餃子はそれぞれ文化であるのか、どちらなのかはよくわからないがともかく、酒は文化であるらしい。アル中はその存在からして文化人であると主張する人はあまりいないと思う。その逆はあるかも知れないが。文化人がアル中の場合がある、ということには少なくない人の同意を得られると思う。
さらに、北米大陸のネイティブアメリカン、つまるところのインディアンではアルコール依存症が大きな問題であると言われている。つまり、元々飲酒の「文化」の無かったところにアルコールが持ち込まれたために、付き合い方が壊滅的なものとなってしまっている、という話だ。何事にも限度があるということで、文化というのは濃度なり頻度なりが高ければ高いほど良い、とも言い難い。このことは、ひとまずゲームが文化であるとして、苦行RTAの類などを視聴しているときのことを思い出させる。古代ローマ帝国ではコロシアムでの剣闘士の死闘が文化であったというが、苦行RTAを見ていることを客観視すると、確実にそのような面がある。見ているには楽しいし、走者も殆どの場合で自分の意思でやっているのだからコロシアムよりかは比較にならない程マシなのだろうけども。

酒についていえば、酒そのものが文化というより、酒が一部となっている文化がある、ということなのだが、年々、飲酒量だか率だが、ともかく若年層は老人層との比較において、特に飲酒に馴染みがない、というのも事実だ。このままいくと、文化における酒の立ち位置が、やがて文化の外側に追いやられることもあり得るだろう。つまり、文化を形成する要素には入れ替わりがある。過去に存在したものを含めて「文化」であるのかもしれない。何年も前の遺物が、「文化」財などと呼ばれているのだから、もっともらしく聞こえる。

この場合、前の世代から受け継がれた行為とそれに伴う道具の類に関する作法を含めたものが「文化」であるとできるだろう。文化にはこうした幅があり、その時その時の価値観によって取捨選択される。ステレオタイプな見方ではあるが、日本人といえばハラキリである。今日もどこかで、誰かが腹を切れ、ハラキリをしろ、などと言われているのだろう。しかし、最近でハラキリをした人物が誰かいるのか。少なくとも三島由紀夫はしたが、それも60年とかそこらの昔になる。行為としてのハラキリは、恐らく人権意識の高まりと対立するので、もう全く以て文化とは言えない。それでも、言葉としては残っている。この場合、比喩的・言語的な用法はともかく、前者の実行されるハラキリは、文化に含まれているとはもはや言えない。道端で亀を売っている人がいなければ、それを買って川に逃がしてやる人も居ない。それどころか、一世紀前のヒロポンなどは現代における言語道断であるし、タバコも相当の程度において受け継がれていないだろう。

この見方を引き継げば、現在のようなゲーム文化がどのようにして受け継がれるのか、あるいは受け継がれないのかは定かではないが、北斗の拳に限らず、ポケモンや、今流行りのバイオハザードなども、将来的にはそうした過去の遺物、文化財になっているのかもしれない。と考えると、我々は今文化財に囲まれて過ごしている、といえる。そう言われても、特にありがたみはないだろうが、そもそも、文化というのが元来その程度のものなのだろう。

https://twitter.com/osadas5 まで、質問などお気軽に。