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メルカリとゲーム経済

 この前、といってもたぶんそれなりに前なのだと思うが、盗めるアート展が本当に盗まれてしまったという出来事があったはずだ。そして盗まれたアートは、50年の時を経て匿名で博物館に送られてきて・・・という事は特になく、メルカリに出品されたのだそうな。
 これが本当であるかどうかはともかく(恐らく実際に起こったのだろうが)、メルカリ民が盗めるアート展のアートを実際に盗み、それを売っていたという前提で話を進めよう。

 メルカリはフリマアプリという事であるが、これは個人の単位で物のやり取りを出来るようにする点において有用だろうが、信頼やモラルの問題は付いて回る。アート展に限らず紙幣の折り紙だとか、いわゆるブルセラだとか、盗品だとか、そういった問題だ。もちろんこれをメルカリのせいであるというよりかは、一種の構造的な問題である、という主張をするつもりだ。

 このうちの前者、個人の単位で物のやり取りができるというので思いつくものといえば、そう。ゲームの経済だ。ここでのゲームというのは、いわゆるマーケット機能の事である。全てのゲームにマーケット機能がある訳ではないが、その機能を持つゲームは決して少なくないだろう。ゲーム経済と呼んでもまあ伝わるだろうが、「ゲーム内経済」と呼んだ方が間違いがないだろう。
 こうしたマーケット機能があるゲームでは、拾ったり作ったり、場合によっては例え盗んだものであっても、出品する事が可能だ。アイテムによっては一度使うと取引が出来ないという刻印を捺される事、あるいはそもそも取引出来ないというアイテムもあるが、ある程度の広さの取引はできる。この点で、メルカリとゲーム内経済のマーケット機能は共通的だ。
 この両者は現実のやり取りともまた別の性格を持ち、だからこそメルカリが流行っているのだろう。

 ゲームでのマーケット機能とメルカリとが違うのは、市場の管理がどの程度の強度で保たれているか、という点だろう。不適切な出品をはじく能力、と言い換えても良い。
 ゲームのマーケット機能での不適切な出品がなされる事は有りえない。というのはつまり、「てつのけん」をグラフィックが同じである「コバルトソード」である、として出品することは出来ない。買ってから「ちがうだろーー!」という事は起こり得ない。つまり詐欺は起こり得ない。あるとすればゲームのバグか買う側のミスだろうが、これらはないという前提で話を進めていこう。
 加えて、先に例に挙げたような刻印。ゲームでは出品されるアイテムがどのような経路でそのプレイヤーに入手されたのかが判別可能である。不正な入手方法でのアイテムは除けられるし、これはマーケットの機能ではなかろうが、そもそも不正な入手というのが極めて起きにくい。さらに、出品出来ないアイテムというのはそもそも、どのような方法を用いても出品できない。
 結論を述べると、ゲーム経済というのは管理者による管理が相当程度行き届いている。中古品が動作するかどうか、詐欺などの心配からも解放されている。これは半ば、取り扱っている商品(≒ゲームアイテム)である事に理由を求められようが、市場が相当信頼できる仕組みによって作用していることは確かだ。メルカリに足りないのはたぶんこれだろうが、ゲームアイテムではない現実の物質を扱うのだから、まあたぶん無理だろう。何とかして環境を整備する、つまり利用者の意識を高める努力をするのが現実的なところだろうが、それもまた無理だろう。何せ相手―もちろんその中には単なる馬鹿だけではなく、明確な悪意を持っている人間もいよう―の数が多すぎるのだ。いわゆる民度だとか、そういったものに頼らざるを得ない。

  個人間での自由な取引が顔の見えない相手とのものになる場合は、何かしらの形で管理する存在が必要であり、その管理がある程度有効に働かねばならない。ゲームのマーケット機能は、取り扱っているものがゲームアイテムであるという点から相当程度の管理が可能であるが、アイテム以外のものの管理となると、途端に怪しくなる。迷惑行為の通報などが時や場合によっては何の意味もない事は、しばしば身をもって経験するだろう。

 とはいえ、件の事件で一番のポイントは、「何でも売れる」という環境で現れる世紀末感なのではなかろうか。そのうち電線を勝手に切断して販売、みたいな事件が起こるし、似たような事件はもう起きていて不思議じゃないだろう。メルカリではゲームのマーケット機能以上に豊富な種類の売物を用意できるのだから。

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