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ポケモンとは

一年くらい前になるのだが、エメラルドのバトルフロンティアで燃えていたときの書きかけのものにかなり手を加えたのが以下のもの。かっこよく言い換えると一年モノ。以下本題。

ポケモンの世界には、いくつかのグレーゾーンがある。具体的なものを挙げるとすれば、カツラが技マシンの大文字の引き渡しに際して「ほんば京都では~」とかったことを発言していたり、ポケモン図鑑にしばしば現れ、ポケモンの生態を説明するために引き合いに出されるインド象の存在だとかが、南アフリカのギニアだとか、こういうのがそうだ。こうした初期の設定というか、ポケモンの舞台というのは殆ど忘れ去られているし、ポケモンと接する多くの人は気にもしない。
 
そうした都市伝説の一つに、ポケモンでの世界は将来の地球を、特に温暖化によって海面が上昇した日本列島がモデルである、というのがあったようなことを思い出す。ポケモンの舞台は、少なくとも主だったタイトルのものでは、現実の日本列島をモデルとしていたことが明白だ。第三世代、つまりルビー、サファイア、エメラルドのいわゆる「レジ系」がどこに座しているのか、などもそうだ。やや話題がずれるが、しばらく前に第四世代、つまりダイヤモンド・パール、これに加えてプラチナでタマゴを孵化させるにあたって必要とされる歩数が特定の日付―8月6日と9日だったと記憶している―で増加する、という発見があったりもした。

世界観という意味では、ゲームというよりかはアニポケに関する話題であるが、サトシの父親などもグレーゾーンにある話題だろう。ハナコ―というのはつまりサトシのママだが―はサトシの父親、そして祖父もまたポケモントレーナーを目指していたことをアニメの第一話で示唆する。続くタケシについても、父がポケモントレーナーを目指して旅に出て、母親もおらず、兄弟姉妹が居て大変なことになっているというのが特に隠されているわけでもない。ポケモンに関わるということは、何かこう、後ろめたさのあるものでる、という認識が当初は特に強かったのではないだろうか。恐るべき自然、といった意識である。もちろん、アニメでは作風として軽いノリで進行しているからそこまで深刻に思えない、というのもあるだが、そこまで軽く流して良いことにも思えないような気がしなくもない。実際に確認したわけではないのだが、恐らく、小説版のポケモンなどの方向性もこうした恐るべき自然路線に近かったのだろう。ゲームやアニポケを含めた、いわゆる初期ポケモンのこうした世界観は、現実の延長線上にあるちょっと不思議な世界と呼べる。超能力や幽霊の類のオカルト要素やドラゴンが、特にそれらの延長線上にあるものといえる。

繰り返すように、特に初期においては、特に世界観が固まっていた訳ではなかった。それだから「ギエピー」みたいなものが現われたりもした。しかし、ポケモンは大して変わって―ピカチュウは大分痩せたし、いわゆる4つ指の修正や肌(?)の色の修正などはあるにせよ―いないようにみえる。しかし、世界観と同様に、ポケモンにも変化がある。当初のポケモンという存在は、現実の生き物を置き換えたような存在であった。カエルとかカニだとか、鳥だとか、草だとか、石だとか、まあ幽霊だとか。幽霊も、典型的には人気のない川べりとか森の中などに出てくるからまあ物騒な野生動物みたいなものであるとする。これらは、いうなれば自然に属するものであった。自然の対比に人工物があるとして、ポリゴンとミュウツーが属するのはそちらだ。こうした、人間―が自然に属しているのかどうかはさておき―それ自体を相対化する視線は、その最初期からあった。レジ系だとか、孵化歩数が増えるだとかもこれだ。特にロケット団以降の、いわゆる悪の組織の存在もこうした役割ではないだろうか。ロケット団に関しては、なんとなく悪の組織であるということ以上の役割を認め難い。

ポケモンの展開が続くに従い、ポケモンという存在がそれ自体で完結し始めると現実の世界の延長線上にある自然の反映が重視されなくなっていった。このため、ミュウや伝説の鳥ポケモンといったUMAじみた存在に代わって、神話じみた存在が出てくるようになった。神話というのは、明らかに人間の想像力の産物、人工物である。そういう意味で、ポケモンはついにそこら辺の野生動物の模倣から、神にもなった。神話というとシンオウ地方が思い浮かぶが、その前、陸とか海を創ったなどというあたりからその兆候がある。深海や焼けた塔にいる珍しい鳥は、まだその域に達してはいないだろう。

もちろん、最初からこうした想像がポケモンという存在を補強していた面があるにせよ、である。ポケモンワールドが確立していくに従って、不都合な現実との関係(延長線上にあるという)は捨てられていったし、そうした現実的な生物としてのポケモンの描写―食物連鎖だとか生殖だとか―は未だによくわからないが、誰も―というと過言であるのかも知れなのが、ともかくあまり気にされないことで成立しているのだろう。

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