日記20240130

 先日の『セクシー田中さん』を巡る一連の問題について、考え続けている。簡単なことではない。いくつもの切り口があり、それら全てが重大で、いずれについても白黒をはっきりさせられる類のものではない。

 創作者としての実存と原作者としての立場という重なり合う二つの在り方、業界の慣習、プロデューサーによる現場掌握、クリエイターとしての脚本家の矜持、SNSの加熱、業界の構造に興味のない人々、反省しない巨大な組織……

 私は幸いにしていくつかのメディアミックスの機会に恵まれた。
 その際に先輩からアドバイスされたことは「仲間として現場の一員になるか、何も口を挟まないか、関わり方は二種類しかない」「原作者の権限はとても強いが、それは核兵器のようなものであって、些細な問題まで意のままにすることはできない」ということだった。

 これは全くその通りで、脚本会議にまでほぼ毎回参加する作品もあれば、本当に一切口を挟まない現場もある。どの作品も原作者に敬意を持つことが当たり前という対応をして貰えたことは私にとってこの上ない幸せだった。

 ボタンの掛け違いが大きな不幸を生む。
『セクシー田中さん』についても、きっと違った在り方があっただろう。例えばメディアミックスを完結後にまで待っていれば、とか。
 何を言っても、もはや取り返しがつかない。

 今はただ、素晴らしい作品を生み出してくださった先生に哀悼の意を表したい。

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