日記20240201

 腹痛が心配だったので、病院へ。
 木曜ということもあり内科は休診のところが多く、普段行かないところへ初診でいくと、親切な老医師から紹介状を貰った。

 総合病院も今では二次三次医療機関となると紹介状なしでは7700円余分に初診料が掛かるので、紹介状はありがたい。

 血液検査とCTをとって、異常なし。腹痛自体は日にち薬で治るのを待つことに。他の数値がべらぼうなら悪かったのはなんとかしないといけない。


 病院というのは非日常が日常だ。
 私たち市井の一般人にとって、病院を訪れるのは「大きな出来事」であることが多く、そこには特別な人生の契機が訪れるかもしれない恐怖がある。
 しかし、医療従事者にとってはその不安を抱いた人々も、日常的に対処すべきルーティンの一部に過ぎない。
 この非対称は患者に大きな不満を与えてしまうことがある。治してもらっているのに、である。

 ここで私が言いたいのは、医療従事者に「親身になれ」ということではなく、患者の側に、相手の事情を汲めということでもない。ただ、世の中のすべての立場は相対的なものだと言いたいだけだ。

 一人称の小説は深く考えなければ書きやすく、また多くの場合は読むのが楽だ。これは視点が一つしかないからであるが、現実においても自分の視点しか持たないのはとても楽だ。
 けれども、一人称ではない視座も持つことは、よく生きる上で役に立つことも多いのではないか。

 もちろん、私は人の生き方に偉そうに何かを言う立場ではないのではあるが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?