2024年4月30日(火)

ちょっと寝坊してしまった。昨日編み物をしたから。ダウナーになった誕生日への反抗として編み物をしてしまったから。

朝から劇場に行こうと思っていたのだけれど、寝坊したのでそんなに早くいけなさそう。とはいえもうちょい急いで準備したら早く行けるのでは。ぐらいの気持ちで家を出る。行動遅いねぇ。
イタリアから持ち帰られてきたビスケットを朝ご飯に食べる。これが朝ご飯て甘すぎるし、足りなすぎるし、朝ご飯とお昼ご飯の前になにか食べているのか?クッキーはしっとりしていて、ジャムがねっとりたっぷりはいっていて丁寧なクッキーだった。おいしい。プラスチックで包装もされていないし。シンプルで良い。

劇場に向かって、昨日家ではできてなかった仕事のトラブルに立ち向かう。劇場でやったらすぐにできた。
なんだ、昨日一人で家でしくしく6時間ぐらいも悩む必要はなかったな。なんかこういうことばっかりだ。悩んだレベルと解決がそんなに比例していない気がしちゃう。

劇場からの帰り際、スタッフとすれちがう。
いつもやさしさの種を色々な人に手渡ししながら歩いているような素敵な子で、すこし話しただけだけど元気が出た。彼女が主催するパーティーイベが時々あるんだけど、次はいつだろう。

思ったより早くおわったのでパートナーと遅くの昼食をたべる。
パートナーにとって1ヶ月ぶりのラーメンを食べる。ワンタンと卵とチャーシューが全部乗っている美味しいスッキリラーメン。
お腹が空いたときに食べると一気にお腹いいっぱいになる。
チャーシューが3枚乗っていたのだが、1枚たべきることができなかった。
やっぱり胃が縮んでしまったのかもしれない。

お釣りを払い間違えられる。500円ぐらい。
なんとなく気づけて、店員さんに言えた。

パートナーの家のそばを散歩する。リサイクルショップで変な鳥の置物をみつけて、可愛すぎて1つかった。レジに持っていくと、レジの後ろに同じシリーズの鳥の置物が山積みになっておいてあった。どういう背景があってこのリサイクルショップに来たのか気になる。

具合が悪くなって、しかもクレジットカードとスマホ決済が結びつけられず落ち込み、嘆く、ダウナー過ぎるパートナー。
私もかなり簡単なことで落ち込みすぎるタイプだけど、今回の彼を見ていて、「あ、私ってこんな感じなのかぁ」と思う。
お互い様なんだなぁと思った。あんまり似ていないタイプだと思っていたが似ているのかもしれない。

帰って来て、宅急便を2つも受け取って、ポッドキャストを聞きながら部屋の掃除をする。
アートマネージャーが批評家、アーティストと話すポッドキャスト。
批評家が「アートマネージャー」という職業が何なのか想像できない、と言っていて、驚くと同時にちょっとええええとマイナスな気持ちを感じた。みんなやっぱり作品が好きということなの?
みんな、がどこまでを示すのかわからないけれど。

私自身は、ぶっちゃけ作品にもしかするとそこまで強い意味を感じていないかもしれない。
あ、いいや悪い意味で捉えられたいわけじゃない。
作品に対して興味が無い、テキストだけあればいいじゃん、というわけではなくて、あくまで一つの終着点を見せられているようなものと捉えているということ。テキストのほうがもはや長かったとき、作品に対して面白いとか好きとか、そういう感覚よりも「へぇーなるほどね」みたいな感情が強くなる。作品だけをみて自分の考えをそこまで深く発展させることはできない。見えないものを語ることができない。結果私が鑑賞している、もはや鑑賞ではなく読んでいるテキストとロジックに面白さを感じていて、出てきた具体的な形にそこまで執着心を感じていないのかもしれない。

だからこそその結論が出てくる過程で強く関与していたいわゆる裏方のマネージャーの存在は大きいと考えているのだけれど、それを批評家があまり知らなそうだったことに驚きと、「なんで?」と疑問を感じた。

やっぱり人と人が関わるところとその過程に面白さを感じるので、演劇とかアートプロジェクトとか、アートマネジメントに興味があるな、と思う。キュレーションはもっと美術の文脈を知らないとできない表現なので専門性が高すぎる部分なのかもしれないとおもいつつ…..

ちょっと最後の方はまとまっていない文章になりましたが、とにかくマネージャー兼キュレーションをやられている方のお話が興味部かかった。その仕事兼業できるのかぁと思った。というか無敵じゃないですか。かっこいい。

アートマネージャーとかになって、見ているものをエッセイとして語っていくような活動をしたいのかもしれないな。観測者ってどの職業だろうと思っていたけれど。これかな。



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