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学校へ行かなくなった話

中学までは少し郊外にある地域で、保育園からの幼馴染が多く、友達もほとんど近所の子ばかりで、名前もあだ名か呼び捨てが殆どだった。
ところが高校に上がると、お互いを「さん」とか「くん」とか呼ぶものらしく、それだけで緊張して話を上手くできなくなった。それでも1年の頃は、部活の友人なども同じクラスにいて楽しくやれていたと思う。

ところが高2のクラスは女子3:男子1という割合で、圧倒的に女子が多く、しかも今でいうスクールカースト上位の明るくてスポーツもできてルックスも良い女子たちが、クラスをまとめているような雰囲気だった。
男女区別なくのびのびと遊び、上下関係や圧力的なものもなく自由に生きてきた身には、誰かが決めたことに従うというのが苦手で、体育祭で同じTシャツを着ることすら嫌でしょうがなく、気がついたらカーテンを閉めたまま1日中家で過ごした、なんてこともあった。

そんな感じで馴染めなかった高2時代、ある日事件が起きた。
席替えで隣になったのが中心グループの一人で、学年でトップを争う成績の背が高いクール女子だった。
小学生の頃から忘れ物が多く、しょっちゅう隣の席の同級生に借りていた私は、その日も当たり前のように「教科書見せて」と声をかけた。
が、2回言っても完全に無視。

諦めて授業を受けるふりをしてノートに何か書いたりしていたその時、今度は消しゴムを落として、よりによって彼女の椅子の下に転がっていった…。
どうしても手が届かず「拾ってもらえない?」とお願いしてみるも微動だにせず、無視。
そこで完全に、もう無理だと思った。翌日から学校に行けなくなった。
今思えば、そんなに気にすることでもないよな、と言いたくもなるけれど、その時の私は、どうしてもダメだったのだ。

でも当時ちょうど好きな音楽をきっかけに、学校の外でそれまで会ったことがないタイプの友人と知り合うようになった。彼女たちは高校に行っておらず、通信制に通っていて、昼はアルバイトをしているという。
そんな風に型にハマらず生きることが出来るのだと思ったら、学校に行かないことにもさほど悩まなくなり、学校へ行くふりをして家を出てレンタルビデオ店に行き、親が仕事に出て家が空になる頃に戻るという生活が続いた。

そうこうしているうちに学年が上がりクラス替えがあって、3年のクラスは私立文系コースというかなり自由な人たちの集まりで、授業をさぼる人も結構いたし、学校に行かない生活が普通になってしまった。
先生から「たまには来いよ」と電話がかかってきたのはその頃。
良い出会いに恵まれてきたなと思う。

ちなみに教科書を貸してくれなかった女子は、家の都合で高校卒業後は就職を予定していたのだけど、進学校だったその高校からは良い就職先を紹介してもらえず、そこを選んだことを失敗だったと言っていたと聞いた。

今はどうしているんだろう? 幸せに生きていたら良いなと思う。

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