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優しい言葉だけ覚えればいい(第二次)

見たことのない景色を見せてくれていたはずのTwitterやInstagramも心地よさよりもつらい時間の方が増えてしまって消した。
フォローを減らして、たまに見るだけにしたらだいぶ気持ちが軽くなった。いっそのことゼロでも大丈夫な気がしている。繋がっていたい人とは別のところで繋がっていればいいから。

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“繋がるくらい 実は簡単だ
離れること でもこれは面倒”
という歌が脳内に時折流れてくる。
そう、さよならはいつでも難しい。
その時には、最後だとは露ほども思わず、後になって「あれが最後だった」と分かる別れは、実は幸せなことなのかもしれない。
「またね」という言葉が、約束ではなく別れの言葉だと知ったのはいつからだろうか。次は無いと分かっていながら、自分も口にするようになったのはいつからだろうか。心が痛まなくなったのはいつからだろうか。

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フォローしている、ということにどれほどの価値があるだろう。それはいつも心配している、ということでは残念ながらないようだ。

你沒事吧?
大丈夫?

ことあるごとに気にかけてくれる人がどれくらいいるだろう?
自分はどれくらい気にかけてきただろう?
気にかける言葉をどれくらい知っているだろう?

新しい絵具を買ってしまいます。