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【愛を見紛う、嘘さえ頬ずり(映画レビュー:ピアニスト) 】

『ピアニスト』(原題: La Pianiste)



noteタイトルは大好きな曲、
「カゲロウ/荘野ジュリ(作詞:松井五郎)」より。


【映画のあらすじ】

ウィーンの名門音楽院でピアノ教師として働く39歳のエリカは、今までずっと過干渉な母親の監視下で生きてきた。母親に対して愛憎入り混じった感情を抱きつつも、突き放せずにいる。ファッションや恋愛などとは無縁の人生を送らざるを得ず、その欲求不満を晴らすかのように倒錯した性的趣味を密かに持つようになった。そんな彼女の前に若い学生の男 ワルターが現れ、求愛してくる。エリカは突然の出来事に警戒し、彼を拒絶するが…


【映画レビュー】  ※多少ネタバレ

客観的に表現すると歪な、主観的に表現すると美しい作品。音楽において繊細な感情を表現する能力に長けたタイプは、理性のタガを外せるタイプの人間でもある場合が多いかもしれないな、と。

昔、知人から「互いの体から排泄された、大半が嫌悪するであろうそれを貪り合う時間…その"異様さ"こそが互いの"無二性"の認識を更に強め、あらゆるものから隔絶された二人だけの居場所を与えてくれる。」という話を聞いた。
自身にとってもセックスは己の汚物を受容されることにより、自己肯定感を保つ儀式でもあるので、内容が多少変わったとて根幹は似た話だと思う。この映画においても、エリカの性癖を曝け出す部分についてそう感じた。
ただ彼女がサディストなのかマゾヒストなのか(あえてそう問う)あの分かりにくい態度は観る側を困惑させ、人によってはリアリティーを欠いて感じるのかもしれないと思った…が、ああいった人間は実在する。僕の専門ではないので俗っぽい表現になるが、「MはSを内包する。」という話は確かにあると思うし、性と愛の優劣がそのときのメンタルやシチュエーションで入れ替わるから、無秩序に見えるのかなと。

ワルターとエリカ

ワルターは利己的な男だ。一見紳士っぽいが支配欲に溢れ、掌握すると飽きるタイプなのかなと思う。女を殴る趣味ではないが、セックスに必要なら殴るといった感じ。結局音楽も自己顕示欲からやっている部分はあるだろうし、嫉妬から他生徒を傷付けた事実を知って燃え上がるあたりで倫理的な人間とはいえない…あと結局"禁忌なシチュエーションや関係性"に対する憧れが強いタイプだと思う、エリカとはまた別種の変態。

ちなみに別映画の感想になるが「彼女がその名を知らない鳥たち」という沼田まほかる原作の映画がある。簡潔過ぎる説明をすると"歪な男女の恋愛を描いた映画"だ。
僕はこの原作が非常に好きだが、映画を見て白けた気分になった…その答えが今回見た「ピアニスト」の中にあった。エリカのそばかす、みずみずしさの無い肌…勿論元々の顔立ちに綺麗さが垣間見えないともいえないが、綺麗に撮り過ぎてもいない。
こういう物語は特別な美人や倫理的なイケメンが演じても、本質的な意味での美しさを欠いてしまう気がする。若くて綺麗な蒼井優と清潔感を殺しきれない阿部サダヲじゃ、原作に存在した不快な湿気が感じられなかった…(具体的には、安藤サクラ×でんでんとかがよかった。)

キャッチコピーから嫌。
一方でピアニストは…

例えば駅の改札前、所謂"チー牛カップル"が熱烈に愛し合っているシーンを目撃したことは無いだろうか。チー牛や異常性癖者にとって、自身を受容してもらえる(かつ相手も自分の許容範囲である)人間の存在は奇跡に近いし、その無二性こそが全てを焼き尽くすような情熱を生む…猛り狂う情欲と慈しみの間にある醜い感情、それも"愛の本質のうちの一つ"だろう。

チー牛カップルのイメージ例


追記:

上記を妻に話したら、「オアシス」を観てみても良いんじゃない?と言われた…まず日本じゃ撮れないだろうと。

『オアシス』(原題:오아시스)


【あらすじ】
2002年公開の韓国映画。監督・脚本はイ・チャンドン(李蒼東)、主演はソル・ギョング。暴行、強姦未遂に続き、ひき逃げ事件による2年6ヵ月の刑を終え出所してきたあるジョンドゥ。家族のもとに戻った彼を誰も快く迎えようとはせず、疎ましい感情を隠そうともしない。彼はひき逃げで死なせてしまった被害者遺族を訪れる。しかし一家は引越しの最中で、部屋には脳性麻痺のコンジュという女性一人が取り残されていた…体の不自由な女性との特異ながら純粋な恋愛と、周囲に理解されないその行方を描く。


…見よう。(今、アマプラで無料らしい)
例えば"イケメン×美女の恋愛映画"なら大きな予算をかけ、"笑いかけるだけで、周囲一面に薔薇が咲き乱れるような豪華なシンデレラストーリー"であってほしい。それも上述した"愛の本質のうちの一つ"だ。
しかし醜悪さが生む受容への渇望からしか生まれない美しさはある。この世に実在する生々しさを直視し、その奥にある本質を見出すということ。
ハネケ監督の作品は他「ファニーゲームUSA」を見たが、奥にあるモノを見る前段に試練ともいえる嫌な刺激を挟んでくる。それも直接的残虐さじゃなく、"アルミホイルを噛ませるような刺激"を。

ファニーゲームU.S.A. (原題:Funny Games U.S.)

…これはかなり暴力的なのでお勧めはしません。
僕は結局、自分の古傷を突っつくような映画が琴線に触れてしまうのだな と思った。
以上です。

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