いつでも怯えている
自分が子供っぽいことは理解している。
嫌いな人は嫌いだし、
自分に被害が及ばないように1番に考える。
それがばれないように必死に隠しながら生きてるが、やはり滲み出るものがある。
と私は思っている。
人が離れていくのは
自分が子供っぽく、浅い考えのまま生きていて思いやりの欠けらも無い人間だからだ
人のために、というか
自分が大切にしたいと思う相手がいてその人のためなら頑張れるという人もいるんだろうけど
やはりその「大切にしたい相手」すら
「裏切られるのが嫌」や「自分がやったことに対する見返りの少なさ」に何となく寂しさや差を感じ落ち込み、不安になり
与えることの怖さの方が勝つため全力で愛情を注ぐことはしない。
しかも、裏切られた時の保険のためにその人と一緒にいるのが嫌な理由まで頭の中で作り出し、
相手が離れた時に「私も嫌だったしちょうどいいや」と強がるための理由をいくつもいくつも並べる。
根本的に心が寂しいのは、多分私だろうと最近本当に思う。
愛情を注ぐとはどういうことか、私にはわからない。
なんでもやってあげることでもないし、許すことでもない、愛想良く振る舞うことでも、相手に合わせることでもない気がする。
何が愛情かなんて考えず、当たり前のように人や動物、物や植物沢山のものに愛情を込められる人が羨ましく、そうできない自分はダメだと心底落ち込む。
正しくいうとできないのではなく、
「するのが恐ろしいだけ」なのだけども。
最近気づいたが、
私は人の悪意を感じるセンサーには異様に敏感なのに愛情の籠った言葉はなんとなく、頭の上の方をすっと横切って自分の中には全く響いていないことに気がついた。
愛されている実感というのはどうしたら湧くんだろうな。
愛情を感じるセンサーが鈍くなっているだけできっとたくさんの愛情をいろんな人から貰っているはずだ。
何が言いたいんだかわからなくなってきた。
でも多分
「人の愛情を愛情だと受け取れる余裕がほしい。
そして、たった1人だけでもいいから自分が恐れず愛情表現ができる人がいたらいいのにな」
かも。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?