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カマキリのカマ子ちゃん

今から2年前、我が家の庭にカワイイお客さんがやってきた。
裏庭から来たのか、空から飛んできたのかはわからない。
うちの軒下でゆっくりと歩いていた。

彼女は痩せ型のスリムなボディで、お目目はパッチリ、黄緑色の服がよく似合っていた。
こちらが近づくと少し警戒した素振りを見せたが、特に攻撃してくることはない。
彼女を見た我が家の長男が、こう言った。
「お母さん、このカマキリ飼ってもいい?」

私は迷った。
ちゃんと育てられるか自信がなかったから。
「まずどんなエサが必要なのか調べてからにしよう」
そう言って、スマホでカマキリの生態を検索した。どうやら動く虫をカマで捕まえて食べるらしい。
「動く虫をどうやって捕まえてくるの?」
私が長男に聞くと「近所の公園でオレがとってくる」とのこと。
エサは鶏肉をピンセットで掴み、生き物のように揺らしてやると食べるとも書いてある。
虫を調達できないときの代替エサもある…。

「うーむ、わかった。ちゃんとあなたがお世話をするのだよ」
私は飼うことを許可した。
初の飼育体験。子どもにとって、何か学べることがあるといいなと思った。

「名前は何にしようか?」
長男は色んな名前を出して、最終的に「カマ子ちゃん」と名付けた。
長男に言わせると、どうやらこのカマキリはメスらしい。

カマ子ちゃんは家の虫かごで買うことにした。
公園の草を取ってきてカゴの底に敷き詰め、少しでも過ごしやすい環境を作った。
エサの調達人は長男。学校から帰ったら虫あみを持って、近所の公園に出かけるのが日課になった。
取ってきた虫をカゴの中に入れると、カマ子ちゃんはものすごいスピードでカマを振り上げ、捕食する。
その見事なカマさばきに、家族みんなで驚いたものだ。

カマ子ちゃんは我が家のアイドルだった。
長男は帰宅すると真っ先にカゴを覗き込む。クイクイ動くカマ子ちゃんを優しい目で見つめて「かわいいねえ」と言葉をかける。
小さな妹ができたかのようだった。
一応人間の弟もいるのだけれど。

ある日、カマ子ちゃんがエサをあまり食べなくなった。
と同時に、なんとなく動きも鈍くなっているような気がした。
その時はエサを与えすぎたのでは?と思っていたが、日を追うごとに食べる量が減っていく。

異変に気づいてから数日が経った。
虫かごに虫を入れても、最初のような素早い動きは見せてくれない。
鶏肉をピンセットで与えても、全く手を出そうともしない。
エサが食べられないから、徐々に弱っていく。
このままではいけないと思い、色々調べてみるも、これといった解決策が見当たらない。
どうしたらいいんだろう…。

自然に返したほうがいいのでは?と思い、近所の公園に放してみた。
しかしカマ子ちゃんは、じっとしたまま動かない。
カマを少しあげるだけでも腕が震えて、今にも倒れ込みそうだ。
このままでは他の虫に捕まって死んでしまうと思った。
私たちはカマ子ちゃんを虫かごに入れ、家へ持ち帰ることに。
最期を家で看取ることにした。

生き物を飼うということは、最期の看取りまで責任を持って行わなければならない。
その覚悟ができないなら、生き物を飼うべきではない。
カマ子ちゃんを飼育して、そう思った。
私たちはカマ子ちゃんが息を引き取る瞬間まで、見守り続けた。

そして、カマ子ちゃんの動きが完全に止まった。
動かなくなったカマ子ちゃんを見て、長男が泣いた。声を上げて泣いた。
「もし自分が飼うなんて言わなければ、カマ子ちゃんはもっとたくさん生きられたかもしれないのに」
泣きながら、長男は自分を責めた。
私は、なぐさめの言葉をかけてやりたかったけれど、彼の背中をさすりながら「あんたのせいじゃないよ。違うよ」としか言えなかった。

長男は数分泣き続けた。
少し落ち着いた頃、目を腫らした彼と私は、これからのことについて話し合った。
カマ子ちゃんの体は庭に埋めることにした。

いくら私たちが愛情をかけて育ててきたとしても、カマ子ちゃんにとっては迷惑だったのかな。
飼うことで、いのちを縮めてしまったのかもしれない。
公園に放したとき、家に連れて帰らない方が幸せだったのでは…。

色んな後悔が頭をめぐるけれども、時間を巻き戻してやり直すことはできない。
どんな行動が正解だったのかはわからないけれど、生き物を飼うことは「いのちを預かること」という至極当たり前のことを改めて実感した。

長男は動物を見れば「飼いたい」と言っていたが、カマ子ちゃんが死んでからは一切口にしなくなった。
ある日、街で散歩中の犬にすれ違ったときに長男は「今は生き物を飼いたいと思わない。カマ子ちゃんが死んでしまったときに感じた辛さには、もう耐えられない」とつぶやいた。
うん、わかるよ。母もそう思うよ。

生き物は、いのちなのだということ。
ゲームではキャラクターが死んでもリセットボタンを押せば生き返るが、現実は2度と戻らないということ。
そんなのは当たり前だし、誰でも知っている。
しかし実際に生物の死を目の当たりにして、長男は本当の意味で、いのちには限りがあることを知ったのかもしれない。

あれから生き物は一度も飼っていない。
これから我が家で生き物を飼うことはあるのだろうか。
もし飼うのであれば、いのちを預かり最期を看取る覚悟ができたときなのだろう。

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