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鼠算的に増えるパンダ、への挑戦。

[コワーキングスペースのコミュニティ運営について考える:第7回]

さて。
「交流の無いコワーキングスペースはただのスペース」とは、この記事を書き始めるきっかけを創ってくれた、僕の心の友であり師匠であり時に共に現場を戦う仲間であり、かつなんとKOIL会員でもあるコワーキング業界の重鎮、遅野井宏さんの至言ですが、そのコワーキングスペースが利用者のビジネスを伸ばしていく場を標榜するのであれば、交流をベースにさらにそれをビジネス・コミュニティとして育てていく必要があります。具体的には、会員相互の交流から多くの受発注やコラボレーションが生まれていくことを目指さなければなりません。

そこで呪文のように唱えられるのが「繋ぐ」という言葉。運営者側が「たくさん繋いで成果を出そう」と言うこともあるし、利用者さんが「繋いで欲しいなぁ」ということもあるでしょう。なので、いわゆるコミュニティ・マネージャーあるいはそれに類する役割の人には「より多く人と人とを繋ぐことができる能力」が求められます。

人を繋ぐ能力、というと抽象的ですが、たしかにそれはあると思います。飲み屋のママさんを始め(って、ママさんのいる飲み屋って行ったことないので想像ですが)、飲食店のオーナーにはそういう人多いですよね。コミュニティマネージャーにはその能力が必要であることに、もちろん異論はありません。ただ、ここで「繋ぐ」という言葉を文字通り誰かと誰かを引き合わせて手を繋がせる、というイメージで使うと、それは違うんじゃないかなー、と僕は思っています。

数年前、KOILにおけるコミュニティマネージャーのタスクを整理するにあたり、当時コミュニティマネージャーの「同僚」だった広瀬眞之介さんと毎日まいにち激論を交わしていました。なかなか意見が合わず殴り合いになることもありましたが(嘘)、広瀬さんは全く違う立場の人と「穏やかなケンカ」が出来る稀有な人だと思います。眞之介という名前が変換しにくいことを除けばとても良い人です。あっ間違えた、広瀬さんの説明をするとこじゃなかった。ええと、その時期、僕の中にある「繋ぐこと」への違和感を言語化するために、あえて「繋ぐことのデメリット」を少しデフォルメして並べたことがあります。それはこういうものです。

・繋ぐことは実は機会損失(ということもある)
誰かを繋ぐことは、ほかの誰かを繋がないこと(というケースもある)。お互いにベストチョイスだと言い切れるほど双方を知っている?
・繋いでほしい、というのは他者依存
うまくいかなかったとき、相手や紹介者のせいにしちゃいがち。
・ただの受発注と変わらない
「初めまして、見積りください」なら、コミュニティである必要はない。
・(運営側としては)1つずつ繋いでたら成果は1つずつしか増えない
運営側にとんでもないリソースが必要になる。事業効率が悪い。

で、こう整理してみたら、シンプルな結論を得ることができました。

そもそもなぜ場を運営しているのか、コミュニティを創ろうとしているのか、という点に立ち返れば、繋ぐ < 繋がる  であることは自明です。本来的には「多くの繋がりが自然に生まれる環境を創ること」こそが必要とされるのです。

自律的に繋がったパートナー同士によるビジネスなら、上に書いたことはすべて逆になります。日常的なコミュニケーションをベースに、自己判断でベストと思われるチョイスをして、人間関係ありきの「共創的受発注(第5回参照)」を実現することができます。運営から見れば、環境をベースに同時多発的に繋がっていくので、より少ないリソースで多くの実績をつくることが可能です。

そう考ると、コミュニティマネージャーの仕事は「繋ぐこと」ではなく「繋がれる環境を創ること」だというふうに整理されるのではないでしょうか。

でも、「繋がれる環境を創る」ってフワっとしてんなぁ、と。具体的にはどういうことをするのか。コミュニティマネージャーは繋がなくていいのか?繋がない方がいいのか?雇い主としてはコミュニティマネージャーをどこで評価すればいいのか?

次回以降、こうした点について考えていきたいと思います。ではまた次回!

#ビジネス #コラム #コミュニティ #コワーキングスペース

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