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コミュニティってウザい。

[コワーキングスペースのコミュニティ運営について考える:第1回]

僕は、千葉県柏市にある「柏の葉キャンパス」駅前のコワーキング施設『KOIL(柏の葉オープンイノベーションラボ)』の立ち上げ・運営をお手伝いしてきて、今はコミュニティ・マネージャーとしても活動しています。

オープンから4年半ほど経ちました。

当時も今もほぼ類例のない「郊外住宅地型大規模コワーキングスペース」を手探りで運営してきた中で「みんなが果実を得ることができるコミュニティ創り」について気付いたことや思っていることを、ここで少しずつ言葉にしていこうと思います。

ちなみにご存知ない方のために、KOILはこんなところです。
http://www.31ventures.jp/ventureoffice/koil/

さて。

まず最初に言いたいことは、コミュニティってウザい、鬱陶しい、めんどくさいっすよね、ということです。

長い間コミュニティをつくったり運営したり(←キラいな言い方ですが現時点ではとりあえず)していると感覚がマヒして、「コミュニティってだいじだなー!みんなーこっちおいでーコミュニティにジョインしなよー」などと大声で叫んだりしがちなんですが、まぁ叫ぶ人はいませんが、とにかくちょっと待って、と。

たぶん多くのフツーの人は、コミュニティなんて言われると全力で引いていくのです。

僕は若いころ、マンション広告の制作を主な仕事にしていました。共同住宅は文字通り共同で暮らす住まいだから、住民同士の人間関係はとても大切です。でも、住民コミュニティだとかその手の話は販売広告としては基本的にはNGでした。そういう話は「売りにならない」のです。

もう10年ほど前になるでしょうか、一時期、チームネットの甲斐徹郎さんと多くの仕事をご一緒させていただきました。パッシブデザインによるコーポラティブハウス『経堂の森』や、名著『自分のためのエコロジー』などで有名な甲斐さんのコミュニティ創りの基本は、「協働する動機、共通のメリットをつくる」ということだと理解しています。たとえば屋上に菜園を創る。土づくりや水遣りなどの作業は結構大変なので、お互いに助け合うようになる。収穫の時期には、家族だけでは食べきれないのでお互いにシェアして、いわば自然発生的に収穫祭が行われる。そうしたプロセスの中で、いつの間にかコミュニティが生まれる。

コミュニティ創りが目的だとすれば、なんでこんなめんどくさいことをするのか。一般的な住宅購入者にとって、コミュニティだの近所づきあいだのっていうのは面倒なことでしかないからです。「共同住宅は近所付き合いが大事です。さぁ、みんなで集まって仲良くなりましょう!」なんて言っても、「このマンション、ウザいな・・・別の物件にしよう」と思われてしまう。

そういう現場に長くいたので、ここ最近コワーキングスペースの周辺で当たり前のように自信満々に語られる「コミュニティの素晴らしさ」は、僕にとってはもう、なんていうか冷や汗モノなのです。「コミュニティ特化型ほにゃららオフィス!」とかがキャッチコピーとして躍っているのを見ると、「お、おぅ…」と後ずさりしてしまうのです。

もちろん時代も違うし、マンション購入者とコワーキングスペース利用者は属性も違うので、そこまで気にしなくてもいいとは思うのですが、それでもなんでこんなことにこだわっているのかというと、少し後の回で詳しく書きますが、僕はコワーキングスペースのキモは「居心地」だと思っているのです。キモというか、全てかもしれないな、と思っています。なので、【コミュニティという言葉は多くの人にとっては居心地が良くない】ということを、まずしっかりと認識する必要があるのではないかな、と思うからです。

あー、違う違う。なんか説教臭い。ウザい。間違えた。

何の専門性も経験もなく(あ、いや、ほんとはある程度はありましたが)、参考になる前例もない中でKOILを運営するにあたって、僕が出来ることは居心地を創ることだけでした。そして、居心地を創るにあたっては、「誰かがとてもイヤなこと」をするのを徹底的に避けてきました。コミュニティという言葉は、僕の中ではそれにあたると思ってきたし、それはたぶん間違ってなかったと思うのです。

では、コミュニティという言葉が持ついやらしさ、ウザさの中身、正体は何か。そして、いやらしくない、鬱陶しくない、ウザくないコミュニティを創るためには何が大切なのか。

そのへんのお話を、次回に書きたいと思います。

#ビジネス #コラム   #コミュニティ #コワーキングスペース

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