“経済安保”のかけ声の足元で― 乱暴な雇い止め→「頭脳流出」優秀な30代 理研から中国へ〜すべてがNになる〜

                       


2023年7月11日【1面】
 科学技術を経済成長や安全保障の要とする岸田政権。その足元では多くの研究者が不安定な有期雇用に疲れて夢をあきらめたり、乱暴な雇い止めで職を奪われたりしています。3月末に国立の理化学研究所から雇い止めされ、海外に活路を求めた30代の男性の姿を追いました。(佐久間亮)
 男性は6月から中国の大学で新たな研究生活をスタートしました。大学卒業時に東大総長賞、理研で文部科学大臣賞若手科学者賞を受賞。昨年は国際的な科学誌『ネイチャー』に論文が掲載されるなど将来を嘱望されてきました。
 「まだ書かれていない教科書の続きを想像しながらの実験が楽しい」と語る男性。研究職は「天職」だといいます。
 ある研究者は男性について、20代に出した研究成果がその研究領域を世界に認知させる契機になるなど、同世代の研究者のなかでは世界でも群を抜いた存在だと指摘。『ネイチャー』に掲載された論文は「私が学生のころに習った教科書が書き換えられるかもしれない世界的な大発見」と強調します。

就業規則変更

 もともと大学卒業後は留学先の米国で研究職を探すつもりでしたが、大学の指導教員に請われ帰国。13年に同教員が副センター長を務める理研のセンターに入所し、18年10月にユニットリーダーになりました。
 男性は当初、ユニットリーダー就任をためらいました。13年の法改定で有期雇用から無期雇用への転換ルールが定められたことを受け、理研が16年に就業規則を変更し、有期雇用は10年で契約終了としたからです。研究職は10年で無期転換とされたことから、転換前の雇い止めを狙った変更でした。
 ユニットリーダーになれば自らスタッフを確保して研究室を立ち上げ、一定期間内で成果を出し、最後はスタッフの再就職も支援します。就任時点で契約10年まで4年半しかないポストより、理研外への転出を男性が希望すると、副センター長はセンターの終了期限の25年3月までは契約更新が可能だと引き止めました。

契約終了通告

 しかし、その後、約束は反故(ほご)にされ、契約期間10年を理由に23年3月末での契約終了を告げられました。
 「予想していなかったので驚き、自分の描いていたキャリアプランも崩壊しました。一方、あきれるような裏切りにあったことで理研への未練は一切なくなり、自分を必要としてくれる研究機関に移ろう、と気持ちをすぐに切り替えました」
 男性と同様、3月末で雇い止めされた有期雇用研究者は国立の大学と研究機関だけで最大約3千人とみられます。理研でも380人の雇い止めの危機があり、当事者が裁判やストライキに立ち上がったことで196人が再雇用されたものの、184人が理研の職を奪われました。
 理化学研究所労働組合の金井保之委員長は、雇い止めで研究職をあきらめた人や、理研に残れたものの事務職への転換を受け入れざるを得なかった人もいると語ります。
 (1面のつづき)

理研 乱暴な雇い止め

パワハラ隠し・組織再編に悪用 「選択と集中」研究力が低下

 理化学研究所労働組合の金井保之委員長は、有期契約10年を上司が気に入らない部下を追いだす機会にしたとみられる事例が多発しており、雇い止めで中国にわたった男性はその典型だと指摘します。
 「本来雇い止めには業績などへの公正な評価が必要です。ところが有期契約10年が上限だといえば評価に一切触れることなく雇い止めできる。ハラスメントの隠れみのになっているだけでなく、廃止したい部門の研究者をいっせいに雇い止めすることで組織再編にも悪用されています」

上司との確執

 理研を3月末で雇い止めされた男性は、本来25年3月末まで雇用を約束されていました。それが契約期間10年を理由に3月末で雇い止めされたのは、ユニットリーダーになる前の直属の上司だった副センター長と共著論文をめぐり確執が生じたことがきっかけだったと語ります。
 「副センター長は論文投稿にいたるまでに時間がかかり、原稿を提出してから1年以上待たされることはざらでした。時間がなければ自分の原稿そのままで投稿させてほしいと伝えても決して認められませんでした」
 男性は当初、今後の就職への影響を恐れ副センター長に強く抗議できませんでした。副センター長の人脈が広く、さまざまな予算や賞の審査員も務めているからです。
 独立した研究室の主宰者であるユニットリーダーに就き、上司がセンター長に代わった後も状況は改善しなかったため、男性は19年末ごろ覚悟を決め副センター長に厳しく抗議。結果、事実上関係が断絶したものの、その後雇い止めになるとは思いませんでした。25年3月までの契約更新が日本学術振興会(文部科学省の外郭団体)の卓越研究員制度で担保されていたからです。
 同制度は、若手研究者の雇用の安定化を目的にしており、無期雇用かそれに準ずる雇用形態が応募条件です。不安定雇用では革新的な研究課題に取り組めないからです。同制度の利用には契約期間が最低でも5年は必要とされ、23年3月での雇い止めを前提にすると男性の契約期間は4年半しかないので利用資格を満たしません。
 「4年半で契約を切ったら大変なことになりますから、安心してください」。副センター長に契約前、そう説明されたと男性は振り返ります。
 雇い止めを通達された面談時に卓越研究員制度のことをセンター長にただしましたが、一切取り合われませんでした。
 「副センター長に反旗を翻した私がいつまでも理研に残れるとは思っていませんでした。しかし、センター長が卓越研究員制度に反してまで追い出そうとするとは想像していませんでした」
 無理にでも追い出そうという上層部の強い意思を感じ、退職への同意を伝えました。卓越研究員制度の問題についても、文科省と理研の間で内約があると考え諦めました。その後は一切抗議せず、就職活動を始めましたが、たびたび呼び出され就活へのプレッシャーをかけられました。
 なかでも強い怒りと屈辱を覚えたのが、残り1年の契約更新時にチームのスタッフ全員の退職同意書を取ってこさせられたことです。スタッフは雇用上限が記載された契約書に最初からサインしており、法律上雇い止めは問題にならないと何度も説明を受けていたからです。
 「私を含め全スタッフが退職に同意しており、嫌がらせとしか思えませんでした」
 さらに、今年2月にNHKが理研の雇い止めを特集すると、男性は突然センター長に呼び出され、今度は契約を延長するよう迫られました。男性の退職に伴い多額の外部資金を返還することになると国会で追及されかねないので、理研本部からどうにかしろと言われていると説明されました。
 「あまりの自己本位さにあきれました。若手は大教授に逆らえないからなにをしても問題ないというおごりがなければ、こんな要求はできないはずです」。一連の仕打ちを受け、雇い止めが卓越研究員制度に反したものかどうか調べる決意を固めました。「やられたらやり返す。半沢直樹を見て育った世代を見くびらないでもらいたい」
 その後、理研が男性の契約期間を7~10年と水増しして卓越研究員に応募していたことが発覚。日本共産党の宮本岳志議員の質問に永岡桂子文科相が理研の調査結果を待って対応すると表明(5月24日の衆院文科委)する事態に発展しています。ただし、1カ月以上たっても調査結果は出ていません。
 理研は本紙の取材に対し、男性の雇い止めが調査中であることを理由に「回答は差し控える」としました。

人件費を抑制

 この20年で世界的に注目される論文数が世界4位から12位に転落した日本。背景には「選択と集中」の名で大学や研究機関への交付金や補助金を減らす一方、競争的資金の割合を増やし一部の大学や研究機関だけ優遇する仕組みをつくってきたことがあります。競争的資金への置き換えは人件費の抑制を招き、40歳未満の国立大学教員の7割近くを有期雇用が占める状況を生み出しています。
 日本共産党の田村智子参院議員の調査によれば、来年3月末で有期雇用10年を迎える研究者も国立の大学と研究機関で1000人を超えます。
 金井さんは、今回の大量の雇い止めで理研は研究者との信頼関係を失ったと指摘します。
 「1年ごとの契約であっても成果を出していれば研究を続けられるという前提が崩れました。革新的な研究アイデアを思いついても理研では予算を申請せず、安定したポストに就くまで待つという人もいます。理研で研究したいという若手研究者も減るのではと懸念します」

人材流出を加速

 一般社団法人「科学・政策と社会研究室」の榎木英介代表理事の話 日本では、経済安全保障の観点から中国への頭脳流出を自民党議員や一部メディアが問題視し、対策として大学ファンドなどによるいっそうの「選択と集中」が主張されてきました。実際は「選択と集中」が不安定雇用をつくりだし、雇い止めで優秀な研究者が中国に流出する皮肉な状況が生まれています。
 日本では教授などに絶対的な権限が集中する傾向があり、推薦状や雇用継続が人質として使われているのも問題です。
 中国に渡った他の研究者も、多くは日本に安定したポストがないか、あっても低い地位しかないことが理由です。中国が研究環境として魅力を高めていることもあります。
 スパイ摘発を目的に数百人の中国系研究者を逮捕した米国は、スパイ摘発に結びつかなかっただけでなく、中国系研究者の大量流出を招き人材流出国に転落しました。日本も、経済安保の名で研究分野への統制を強めれば人材流出を加速し「国益」を損ねることになるでしょう。
 (3面)


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