『アベンジャーズエンドゲーム』――トニー・スタークにも心があった

 『エンドゲーム』の2回目を見てきました。
 エピローグでの「自分の人生を生きてみてもいいと思った」という字幕について、確かめたいことがあった。僕のリスニング力が生み出した幻聴かも知れないが、セリフは「トニー」と言っているように聞こえた。それを確かめたくてもう1度見た。
 ラストのキャップの行動がトニーの影響だとしたら、まさにそれが、トニー・スタークにも心があったということだから。


 『アベンジャーズ』は何人ものヒーローが集結する物語で、その豪華さが作品の大きな売りだ。そして『エンドゲーム』では、登場するヒーローたちの各々の作品とリンクし、要素を紡いでまとめ上げながら、宿敵サノス打倒へと個々の物語を集結させていく壮大なスケールで、シリーズの区切りに相応しい抜群の面白さだった。
 そんなヒーロー達の中でもアベンジャーズには中心となるメンバーがいて、『エンドゲーム』ではそれぞれが持つ物語との個人的な決着が描かれていて、どれも良かったけれども、やはりアイアンマンとキャプテン・アメリカの二人は中でも特別だ。だからこそ、最後の最後で二人のヒーローの生きざまがクロスする展開が持つ、作品のエネルギーは計り知れないものがある。
 そういう話だと思ったからこそ、最後のあのシーンでは、キャップにはトニーの話をしていてほしかった。字幕は違うから希望による幻聴かも知れないけれど、そうであってほしい。


 トニー・スターク/アイアンマンはユニークなヒーローだ。強いけれども性格は問題だらけ。自信家で、傲慢で、人の話を聞かず、おまけに挑発的。武器商人時代に彼が踏みにじった人間が復讐に来たこともあったろう。
 ヒーローとして目覚め、兵器ビジネスから足を洗った後も、その強い意志と協調性のなさから周囲との軋轢を生むこともしばしばあった。ウルトロン騒動なんかはそういった探究心や正義感の暴走が発端となっていたわけです。

 サノスに敗北したアベンジャーズの基幹メンバーたちは、深く傷ついて、かつてと真逆の生活を送っていた。真面目一辺倒の正義の味方から一気に弱々しくなった分、人格にはユルさ出てきたキャプテン・アメリカに、勇猛な戦士からアル中ネトゲ廃人に転落したマイティ・ソー。自信家でトラブルメーカーでありながら自身の正義と信念に忠実だったアイアンマンは戦いを割け、可能性を捨て、弱音を吐いて家族と共に隠居している。クールだったブラック・ウィドウの生活は荒み、狂気の正義を振るうホークアイに、ワンダを激励した際に見せた渋い優しさの片鱗は見られない。

 以前から荒れていたハルクだけは真逆効果で安定感のあるキャラクターになって、気を利かせてタコスを差し入れたり、ファンの子供と陽気に記念撮影をする、殺伐とした展開のオアシスのような存在だった。
 これはハルクが既に自身の問題と決着をつけた状態で登場したからで、他のメンバーはそれぞれが、自身のストーリー上避けては通れない問題と、『エンドゲーム』の中で決着をつけていくことになる。

 そしてこれがすごく残酷なんだけれど、物語は家族との幸せを優先しようとするトニー・スタークを許さなかった。いやいやいや、お前はアイアンマンだろう、と。

 アイアンマンは初めから異色のヒーローだった。結果として平和を守ってしまうが、その原因は身から出たサビの場合も多い。自信に満ち溢れ、人の言うことを聞かず、信じた価値のために邁進する。そしくっ付いてまわる犠牲やリスクについては、心なくしょうがないことだと思っている。いかにも天才発明家兼企業経営者といった人格だ。
 正義への探求心が招いたウルトロン騒動はまだしも、アイアンマンとなる前の甚だ自己中心的なトニーが踏みにじった人々が復習に来た『アイアンマン3』は完全に自業自得だったろう。

 そういう生き方をしてきたアイアンマンが、運よく助かった家族たちと穏やかに隠居するなんて展開が許されるだろうかといったら、そうはいかない。今回彼に復習に来たのはトニー・スタークとしての人生であり、『アイアンマン』の物語そのものなのだ。
 
 アベンジャーズの残党たちは運命の偶然で逆転の可能性を見出すが、それは家族が生還したスタークにとっては、より悪い状態へと落ちるリスクのあるものだった。
 しかしいくら意識的に作戦への参加を拒絶しようと、トニー・スタークの内面は不思議な力で可能性へと引き付けられる。そうさせるのは発明家としての好奇心か、リスクを踏み越え理想を追求するビジネスマンのサガか、ヒーローとしての意地と誇りか。いずれにせよ、スタークは嫌々ながらもアベンジャーズの残党に協力し、勝利への可能性を追求してしまうのだ。
 スーツがなかろうがトニー・スタークはアイアンマンだから。荒ぶる程に強大な熱意と自信と好奇心で、リスクを乗り越え成果を掴み、状況を変えてしまう。

 タイムトラベルへの道標を見つけ「Shit!」と叫んだ心境がその葛藤を物語っていて痛ましい。本心では家族との生活を望んでいて、仲間たちに言ったとおり世界のことなんかより自分の生活を優先したかったのに、彼のあり方が、可能性を認知しながらも見過ごすことを許さない。望むと望まないとにかかわらず、彼はもうアイアンマンをやめることができなかった瞬間だ。

 物語はここで、彼にトニー・スタークとしての筋を通せと言いに来たのだ。この逆境の中で、天才として道を切り開いてみせろと。理想の正義を体現してみせろと。今までの言動に筋を通し、ツケを払うべきだと。あのトニー・スタークがこのまま何もせず幸せにしていられるなんて、この物語の道理ってやつが許しちゃおかないぞ、と。

 こういう流れになったキャラクターの頭上には、8つ目の北斗七星が輝きだすことは皆さんもなんとなく分かるだろう。所謂死亡フラグというやつだ。
 幸せと正義との天秤を揺らし、正義のほうを選び取ったなら、たとえそれを果たしても幸せな最後は掴むことができない。それが世の常と言うか、物語上の道理ってものでしょう。トニーが結局タイムトラベルを選ぶのが道理なら、それによってあのラストへのフラグが立つのも道理。

 その道理を果たすべく、物語は最後のタイムトラベルへと向かっていきます。
 何作もかけて積み上げてきた壮大なストーリーであれば、それを畳むにあたってそれ相応の手順というものがある。主人公にしてもそれは同じで、偉大であるほど人気者であるほど、なおさらのことでしょう。

 『エンドゲーム』はそれを、シリーズの始まりともいうべきフレーズに集結するように仕組みました。つまりは「トニー・スタークにもハートがある」と「I am Iron Man」の2つ。それらに主人公の人生が然るべき形で帰結するようにしたのです。

 その帰結のために為すべき手順とは、父親との関係の清算。『アイアンマン2』では一応和解したかのような描写があったものの、才能面でのウエイトが大きく、「期待外れの無能だったから、自分は父に愛されなかった」という認識の前半部分に片が付いたに過ぎない。

 これを解決したのが米軍基地へのタイムトラベルだということはもうおわかりだろう。
 過去の米軍基地で偶然若き日の父親に遭遇したトニー・スタークが、意外にも子供のことで意気投合する、あのシーンだ。

 過去での会話で、トニーは現代の自分が娘を愛すように、父親も自分を愛していたことを知る。トニーの才能に期待していないかの如く振舞っていたのも、愛しているが故の行動であったことがわかる。自分のように、個人の幸せを犠牲にして国のために尽くす必要はないと、間接的にではあるが告げられる。この言葉はまさに、世界平和より家族との幸せを望む現在のトニー・スタークのあり方を肯定するものだった。

 それを聞いたトニーは、「この国のために尽くしてくれてありがとう」という、父のあり方を肯定する言葉を、涙ながらに語ります。今まで反発してきた父への肯定と感謝の言葉。父から受け継いだ兵器会社を否定し、平和のための企業へとリニューアルしたトニーが、再び父の生きざまと平和を結び付けた。
 この言葉は、どれだけ名声を得、どれだけ自信を得ても卑下するのをやめられなかった自分から解放された瞬間でもあった。父とのやりとりでフっ切れたんですね、トニーは。
 ここで始めて人生から自由になった彼が選んだ生き方は、やっぱりヒーローとしてのあり方。自分がアイアンマンであること。しかしそれは同時に、フラグが決して回避不能になった瞬間でもありました。荒木飛呂彦先生が言っていた、物語が持つ重力。それに引き寄せられるように、たった一つの勝利のシナリオへと、あの決着のシーンへと、アイアンマンは自らの意思で進んでいきました。
 大義のために自らの人生を捧げる。そうならないよう育てられたトニー・スタークが、自らの意思で父と同じ道を選ぶ。これは彼がアイアンマンとして、父の意思を超えた瞬間でもある。


 米軍基地のシーンで忘れてはならないのが、エピローグでらしくない行動をとることになるキャプテン・アメリカだ。
 二手に分かれて任務を遂行し、戻ってみるとトニー・スタークは泣きながら父親と話し込んでいる。自分たちの侵入は察知されていて、不審者として追われているのを知っているキャップは、生き別れた恋人をガラス越しに見つけながらも声をかけることなく戻ってきたというのに。
 今までのキャップなら血相を変えて、有無を言わせずトニー・スタークを引っ張っていったろうに、今作では「しゃーねーな」という微笑ましそうな呆れ顔で笑いかけ、ジャスチャーで「もういくぞ」と合図するだけなのだ。

 このシーン、これから過酷な運命が待ち受けるトニー・スタークの人生への祝福なんですよね。お前の人生それでよかったな、っていう。肯定と賞賛と愛情が漏れ出てるキャップのあの笑顔、あんな演技ができるだなんて俳優さんは凄いなあと思わざるを得なかった。あのシーン大好き。

 そしてあの笑顔が、キャップのエピローグに繋がっていくんですよ。大義のために人生をささげ、クソマジメにヒーローやってきたキャプテン・アメリカが、はじめてスタークのようなズルをして、スティーブ・ロジャースとしてペギーとのロマンスを生きる。
 その理由を問われた際の、「自分の人生を生きてみてもいいと思った」という答え、トニーが父ハワードから言われていたことと同じじゃないですか。そして答えとしてなんとなく聞こえた気がする、字幕にはない「トニー」のワード。

 これ、作中で語られてないだけで、キャップとスタークが現代に戻る際、大義のために生きなくてもいいって話をしてたんでしょうね。だからキャップはスティーブとして生きてみた。トニー・スタークを祝福していたから、友人への花向けとして。トニーとハワードの会話を尊重するように、その人生に敬意を表して、最大の賛辞として、友人の贈り物をキャップらしく誠実に受け取ったのです。


 ああ、よかったよ『エンドゲーム』、ありがとうアベンジャーズ!

コミュニケーションと普通の人間について知りたい。それはそうと温帯低気圧は海上に逸れました。よかったですね。