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看護師の当たり前は、当たり前ではない

80代のDさんはパーキンソン病で、一日をベッドで過ごしています。

家族は仕事や学校に行っているので、昼間は一人になります。介護保険で、ベッドと介護用テーブルの貸与と訪問介護を使っていました。

朝は家族が、このテーブルに食事を用意して仕事に出かけます。食事はこれで困りませんが、トイレの動作は一人では難しく、家族が出勤前と帰宅してから移動を手伝い、訪問介護のヘルパーさんは午前と午後に移動を手伝っていました。

介護保険を使い始めて数年経った頃、病気が進行して、すくみ足が増えてバランスも崩しやすく、トイレの移動に困るようになりました。

そこで、ケアマネさんから、訪問看護ステーションにリハビリテーションの依頼がありました。
理学療法士や作業療法士がDさんの筋力や動き、トイレの移動動作を評価しました。
その結果、ポータブルトイレをベッド横に置いて、座る動作は介助が必要だと判断されました。

今まで関わっていたヘルパーさんは、療法士の訪問時間に同席して、変更された移動動作の介助方法を覚えてくれました。

ケアマネさんから、平日の午後の訪問介護のうち週2回は訪問看護に変更の依頼がありました。私たち看護師は、便秘の手当とトイレ動作を手伝うことになりました。

訪問は夕方で、お手当が終わると西日が射してくる時間です。

用意された昼食を食べたDさんはテレビを見たり本を読んだり、ベッドで過ごしています。

訪問看護が始まってすぐにDさんからお話がありました。

「元気が良すぎて疲れちゃうの」
声が高く声量のある看護師のことでした。
「こんにちはって大きな声が聞こえると、疲れちゃうの」


玄関を開けると、すぐ横がDさんの部屋で、「こんにちは」は小さい声でも聞こえます。

不思議なことに、お年寄りを前にすると、自然とゆっくり大きな声で話していることがあります。お年寄りは耳が遠いと勝手に思い込んでいるのです。

大きな声で手際よくケアを進めることで、看護をしているのでなく作業をしているように感じさせてしまったようです。

Dさんは、進行性の病気なので、不安もあるでしょうし、家族への複雑な想いもあるのだと思います。
一人の時間に、静かに考え事を考え事をしている時もあるのだと想像します。

看護師は、望まれている声のトーンを感じないといけませんでした。

元気を与えたいと無意識に思っている看護師は多いと思います。それは決して悪いこととは思いませんが、必要としない人がいることに看護師は気づけないといけません。

入院患者さんは病院の決り事に合わせて治療を受けます。
それに対して、家で療養する方は、自分軸で生活しているから気持ちを出しやすいのだと思います。そこが、在宅療養のいいところでもあります。

病気を持ちながら、自分の想いは大切にして欲しいのです

看護師が当たり前に思うことが、病気と向き合う方全員には当てはまらないと改めて教えてくれました。
訪問看護を始めたばかりの看護師さんや、看護学生さんに必ず伝えるエピソードです。

「看護師の当たり前は、当たり前ではない」この感覚は大事にしたいと思うことの1つです。

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