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自分で最後の時を選ぶ

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。


Bさんは90歳代の女性です。認知症と脳梗塞があって、自宅で転んで胸椎圧迫骨折をして、心不全の診断も受けています。ある日吐血して救急車を呼びマロリーワイス症候群という消化管の病気と誤嚥性肺炎の診断で総合病院へ入院しました。

治療を終えて退院しましたが、吐いた後に誤嚥性肺炎になって再入院しました。


3月に記事にしたAさんは同一人物です。2度目の退院後は、穏やかな日々を過ごしていました。

入院中の検査や言語聴覚士の評価で、口からの食事は難しく、栄養は鼻から胃に入れたチューブで摂っていました。

Bさんの息苦しさは無く、痰の吸引は日に3~5回で、家族が口から見える範囲で痰を取って、看護師は訪問した時に、鼻からカテーテルを入れて、気管から痰を取って肺炎を起こすことはありませんでした。

ベッド横のポータブルトイレに移ることは自分でできていて、家族は自宅の浴室でシャワーを手伝っていました。

チューブが何度も抜けて、訪問看護に連絡をもらい再挿入する日が続き、家族は胃ろうを希望しましたが、消化器の病気をしていたので、胃ろうを造ることができませんでした。

困った家族はケアマネと相談して、両手にミトンを付けて、徘徊感知機器をセットすることにしました。

ところが、Bさんは自分の意思で栄養のチューブを抜いているとわかって、ミトンや徘徊感知器は監視しているようだと抵抗がありました。


そこで、誤嚥性肺炎のリスクを分かったうえで、「口から食べさせたい」と、とろみをつけた栄養剤や水分を口から与え始めました。かかりつけ医にも状況を相談して、とろみをつけた高カロリー飲料とOS-1ゼリーなどの水分を摂るようになりました。

幸い痰は増えず食後の痰がらみや咳もありません。私たち看護師は空嚥下といって、唾をゴックンと意識的にのみ込むことをするよう家族に伝えました。
肺炎を起こすことはなく、私たち看護師と発声練習や舌の運動を一緒に行うようになり、口から食事ができるようになりました。


意思をしっかり伝えたBさんの底力を知らされ、それはBさんの想いを家族が理解して、支えているからこそ発揮できるのだと感じました。

         *

ところが、数か月経った時に痰が増えて、肺の音が悪く、呼吸が規則的でない状態になりました。

主治医に相談して、抗生剤や点滴の治療を受けて、酸素飽和度は改善しました。良くなってからは、仕事を終えたお孫さんが体を動かす介助をしてくれました。お孫さんが小さなBさんの体を抱えて室内を1周歩いて、大好きな縁側で庭の花を見ます。


息子さん家族3人は、敷地内のビニールハウスで働いています。基本的には朝昼晩の食事の時間だけ戻りますが、様子が違えば仕事を中断してBさんを看ています。


体調には波があって、熱が出て痰が増えて、かかりつけ医から総合病院の受診を勧められることもありました。
それでも「入院になるのは嫌だから」と、在宅でできる範囲の治療を受けました。


体調が不安定になって1月経った頃、肺の音の左右差や雑音が聴こえるようになりました。微熱や酸素飽和度の低下、痰も増えて、在宅酸素が始まりました。

腰痛もあって、体を横に向けると痛みが出ます。顔をしかめることが無いように気を付けて、痰を出しやすくするために体を動かすと、吸引で痰がたくさん取れました。

私たち看護師は、家族と変化を一緒に見ては、看取りを段階的に受け止められるように、「今」できることを説明しました。

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家族から「痰が多くて吸引しきれない」と連絡が入り、看護師は緊急訪問をしました。
肺の音は悪く、吸引しても酸素飽和度は改善しません。家族へは繰り返し緊急時の対応方法を説明して、Bさんに寄り添う体制を整えました。

翌日も、お嫁さんから連絡が入り緊急訪問しました。

血圧は70台まで下がっていて、訪問して間もなくBさんの息は、大きくなったり小さくなったり波のような呼吸になりました。
訪問した看護師は、かかりつけ医に状況を報告して、息子さん夫婦へお別れの時が近いことを説明しました。

敷地内のビニールハウスから帰ってきたお孫さんの靴を脱ぐ音が玄関からした時、Bさんは最後の息をしました。
かかりつけ医は午後の診療を終えた時間で、すぐ往診にかけつけてくれました。

Bさんが選んだ時間は、家族が仕事を終え、かかりつけ医も診療に影響なく来ることができる時間でした。


口から食べるようになった時期を振り返ると、Bさんの表情は良くなり、家族と交わす言葉が増えていました。宝物のような時間でした。

与えられた寿命を生ききったのだと感じました。




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