1日でも家に帰る。~かけがえのない時間~

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。

いづれ必ず訪れる最後の時。
それまでの時間を大切に生きるため「人生の幕引きには色んな形があっていい」と教えてくれた在宅で出会った方たちと看護師のこと。


胃癌で胃の全摘術と膵臓の部分切除術、肝転移で肝臓部分切除した60代の男性。

抗癌剤治療の定期受診をしているうち、足の脱力と食欲不振が起こって、薬剤の副作用疑いで入院した。ところが副作用でなく、もともとの癌の進行に伴う症状だと判断された。
食事が進まないので中心静脈カテーテルを入れて、ポンプを使って高カロリー輸液をおとす。
幸い自覚する苦痛症状は少なく「早く家に帰りたい」と言った。
彼は遠慮深い性格で、病棟でナースコールを押すことは極力さけていた。伝えたいことがある時は、奥さんにメールで「面会に来て」と連絡していた。
奥さんは、残された時間が少ないと医師から伝えられ、できるだけ早く家に帰ることを希望した。

        *

私たち訪問看護師に病院から受け入れできるかの照会があったのは、退院数日前だった。
退院日は〇月〇日〇時と決まった。
当日は、家に到着する時間に、かかりつけ医・ケアマネと福祉用具担当者、訪問看護師がそろった。


夫婦二人暮らしで、奥さんは、90歳代の義母の世話や、実母の介護をしている。子供はなく、本人の兄弟は他市に住んでいた。
相談したり、交代する人がいない体制で始まる在宅療養。
私たち看護師は、サポートする人の一人になりたい。

二人が過ごす場所として決めた1階の和室は、釣り道具が壁に立てかけられていた。その部屋に介護ベッドが用意されて、部屋から見える庭に、草花や趣味のキャンプグッズが置いてある。
「いいお部屋ですね。アウトドア派なんですね」と声をかけると、柔らかい笑顔でうなずく。

「帰ってきてよかった」と思ってもらえるように、翌朝までの生活が無事に過ごせるように看護師は動く。
病院から出てくる時に、点滴は止めてチューブは外されているので、一人の看護師は、高カロリー輸液にチューブをつけてポンプにつないだ。別の看護師は、動いた時に、点滴のチューブが抜けないように対策をして、ポンプの電池の充電を確認した。そして、ベッド横には点滴をつけたままトイレに行けるように、ポータブルトイレが用意された。
環境が整って、落ち着いたところで、かかりつけ医の診察を受ける。

続いて、隣の部屋で奥さんと話をする。
奥さんは「家が一番良いと言っているから、最期まで家で看たい。」と心に決めた思いを話してくれる。
奥さんと私たちが今からすること。
これから予測される状態変化と、異常が起こった時の対応方法を確認した。

        *
彼はその夜、安心したのか、家に帰ったことを実感したのか、アイスやプリンを食べたいと言って、少しずつ口にしたそう。

翌日早朝に奥さんから「呼吸が荒いみたい」と看護師に連絡が入った。
前日に伝えた通りの変化が起こって、奥さんは知らせてくれた。

彼は、好きな物に囲まれて、一晩の在宅療養を終えた。
奥さんは「帰ってきてよかった」と言った。


二人の歴史のなかで、かけがえのない短くても濃い時間。


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